迷宮の魂
「ちゃんとした鋏じゃないから、少し切り口が不揃いになってしまったけど」
「ううん。ええ感じやわ。何時も行く美容室よりも上手やもん」
「昔取った杵柄ってやつさ」
「そうなん、純さん、昔、美容師さんだったん」
ルカがそう言うと、彼はそれ以上話そうとしなかった。彼女も敢えて聞く事はしなかった。それでも、少ない会話の中から、ぽつりぽつりと身の上話が聞けたりする事もあった。いきなり、
「昨日で35歳になってしまった」
と言われた時には少し驚いた。40は過ぎていると思っていたのだ。
彼の年齢が想像してたよりも若いと知り、その事を言うと、
「そういう君だって二十歳そこそこにしか見えないよ」
と言われた。
「うちはあまり成長せえへんからな。純さんはもっとお洒落とかすれば、若々しくなるよ」
「毎日土埃に塗れていると、お洒落なんかする気にはならないよ」
「それでもお洒落した方が気分転換にもなるし。そうや、今度の休みの日、服買いにいこ。な」
「君の好きにすればいい」
一緒に暮らすようになってから、彼はルカを君と呼ぶようになった。
ルカは君と呼ぶ時の彼が好きだった。
普通の人間からそう呼ばれると、何だか堅苦しい感じがするのだが、彼が言うと、自分をきちんと一人の人間として扱って貰えている気になる。
一回り近く年齢が離れているから、ルカの方が甘えがちになる。彼は、それを黙って微笑みながら見守ってくれる。一緒に居ると、まるで大きな樹に抱かれているような心持ちにさせてくれた。
なかなか自分の事を話さない彼だが、テレビで東京の街並みが映し出された時など、ぽつりと、
「子供の頃、この辺に住んでいたんだ」
と、独り言のように話す事があった。
少しずつだが彼の心が自分に向かって開いてくれているようで、ルカはそれだけで彼を愛しく感じられた。