揺らぐ幻影
今まではドラッグストアで買える七百円のヘアミストを使っていたが、
わざわざ駅の雑貨屋で、定価のしかもポイント率だって悪いにもかかわらず、巻き髪ウォーターランキング一位の千六百円もするミストを買った。
好きな人ができるまでは、差額の九百円でピアスを一つ買う方が有意義に感じたし、
消耗品に千円以上も投資するなんてもったいないと思っていたというのに、躊躇いなんてなかった。
高級なそれを髪に馴染ませてから、時間短縮の時には考えられないが、
エクステ二束くらいに細かく自毛をいつもよりきちんとブロッキングして、温まったコテでくるくると内に巻く。
しめて化粧に四十分、髪に三十五分。歯磨きに十分。
結衣としては通常の倍時間を費やしたことで、とりあえずこの片思いの努力の説明はつく。
仕上げにクリスマスコフレで五千円近くもしたグロスを塗り、七千円もした香水を振るなど、
時給七百六十円の結衣的には大奮発の純愛だ。
鏡の中にいる新しい自分。
値段と時間がかかった分、昨日より可愛くなれる気がするのは何故?
すべては彼の隣りが似合う人になりたい乙女心で、最上級の自分を好きな人に見てほしいと願う。
なんて愛らしい心意気なのか、倦怠期カップルが聞いてびっくりであろう。
こんな風に何かを頑張ることは凄く気分がいい。
汚い部屋を掃除した時の、活字の小さな本を一日で読み終えた時の、
英単語の辞書引きを頭の中でABC数えずに済んだ時の、背筋をすっと撫でるような快感、すがすがしい気持ち、
そんな達成感に似ている。
毎日変わらず登校する同じ道も建物もキラキラして輝きを増すなんて初めて知った。
そう、たった一日で景色が劇的にビフォーアフターするはずがないのに、
恋の匠が視界にトキメキの技をかけるようだ。
――まあ、恋はなんてメルヘンなのだろうか。
平常心なら鳥肌モノである。
自転車を漕げば鼻歌を奏でたくなるし、すれ違う人におはようと挨拶をしたくなるし、
いちいち可憐になる危ない不思議。
太陽はオレンジに見えるし、爽やかな空を飛べる気がするし、風に乗る香りに深呼吸できるし、
好きな人が居る世界は童話として語り継がれる気がした。