揺らぐ幻影
お風呂上がりのように清潔で、嘘を許さないように潔癖で、
ミントの香り一つで彼の人柄を想像できる暇人であってこそ、片思いの達人だ。
結衣は心底変態だと呆れ、香りにあれこれ考えるなんて気持ち悪い女だと自重しかけたが、
恋する女の子にはありがちな症状なので、仕方ないことだと開き直った。
このように、こざっぱりとした性格なのが結衣で、
『まあいっか』と『なんとかなる』がモットーの適当少女だ。
「まじ結衣かわいい、結衣になりたい」
「読モ応募しちゃいなよ」
露骨な田上結衣の持ち上げに不思議なものでだんだんと慣れ、
聴覚よりも身体全部の力が視覚に集まっていた。
そう、目からの情報収集に必死だった。
少しでもいいので、何か昨日よりも一つ知りたくて、近付きたくて――
五歩先を歩く人は近くて遠い。
手を伸ばして触れられるけれど、そこには何も生まれやしない。
近藤くん歩くの速、
靴、踵高い、
ローファー派なんだ
背、気にしてんのかな……可愛い
ポッケに手、癖、かな
携帯落ちそ、てか変なストラップ
すっごい姿勢いい
やっぱ背気にしてるから?、って失礼かな
視界に入るものすべてに、いちいち感想を述べるのが片思いの宿命だ。
例えば、爪の切り方や髪の伸ばし具合、唇の艶やセーターの色、なんでもないことに興味がいっぱいな彼女たちに引いたらいけない、
恋をすれば妄想しなければいけない義務を神様的な人に負わせられているから。
――後ろ姿など何も変化がない。
そう、興味のない人の背中程飽きるものはない。それこそ三十秒も持たないだろうに。
けれども結衣にとって近藤は特別で、永遠に見ていられる。
空にある太陽が月に変わったって眺めていられる。
もはや観察に近いような気がしないでもないが、乙女心に水を差してはならない。
好きな人、初恋、他人。
「彼女いるのかなー……」
恋愛について何も知識がない結衣は、自覚なく呟いていた。
風に流され後ろへと消えるか細い声が、いつか前に進む彼へ届けばいいのだけれど、
今は祈るだけで精一杯だ。