エングラム



気が付いたら私は弾いていた。
バーン、と降り懸かる低音。
そこから始まるメロディ。


──ポロネーズ第六番 変イ長調。ショパン作曲。
通称は英雄ポロネーズ。


落ち着かない。落ち着かない。音が足りない!

荒れた音。潰れた音。
テンポは楽譜で定められたものより速い。

全てフォルテッシモ。今の私には似合いだ。

音にぶつけると、私はたっぷり息を吐いた。

はぁ、はぁ、とみっともない息。
、、、、、、、、、、
私の知らない私がいた、とそれだけは分かる。
その先が分からない。

窓の外からは楽しそうな声が絶えずあがっている。

──羨ましい。

なんでそんなに楽しそうな声が出るの。

「…何を忘れたんだ!」

叫んで、響く不協和音。

寂しい。寂しい。

確かに傍に温もりがあった気がする。けど──ないじゃないか。

気のせいだと言われたら、砕けそうな記憶のカケラ。





私には、誰も現れない。



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