ホタル
「......ごめん、何でもない」
あたしは裕太の横をすり抜けた。石畳の上、ヒールの音が響く。
「朱音」
裕太の声が背中に響いた。振り向けない。胸が苦しい。
心の中で深呼吸をした。大丈夫、自分を誤魔化すことだけは得意だ。
「何?」
小さな笑顔で振り向く。我ながら完璧な演技だと思った。この笑顔を見て、本当は今にも泣きそうだなんて気付く人はいるはずもない。
あたしは裕太を見つめる。裕太もまたあたしを見つめた。
真っ直ぐな裕太の瞳は、あたしの全てを見透かしているようで怖かった。
泣きそうなのはバレてもいいから、どうかこの気持ちだけは悟られないで。
「いや」
裕太は一瞬ばつが悪そうな表情で俯いたが、すぐにいつもの大人びた笑顔で言った。
「あんまり弟に心配かけさせるなよ」
そのままあたしの横をすり抜ける裕太。門から玄関までのこの石畳の上を、あたし達はこうやって、抜いたり抜かされたりしながら歩いた。
決して並んで歩くことはなかった。