剣と日輪
 小島はスパーリング中とはうって変わって、にこやかである。
「とんでもありません」
 師弟の闘い済んだ後の快(かい)意(い)の遣(や)り取りは、スポーツならではの美(び)言(げん)であろう。
(この爽快(そうかい)さは、文学にはない)
 文化人達は太宰や芥川の持つ病的な閉塞(へいそく)感を嗜好(しこう)し、健康志向を忌嫌(いみきら)う。公威と石原は、そのナンセンスな壁をぶち壊さんとしている。一見無意味なスパーリングは、そのエネルギーを畜産(ちくさん)する為の試練なのであった。
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