先生は何も知らない
 川嶋は階段を引き返して斎藤にハンカチを渡そうかと迷ったが、結局そこから動かなかった。

「他は全部?」

 川嶋の声は優しい。それは元々そうなのだが、今日はいつにも増して、温かみがある。表情の乏しい男なので、普段はその声の優しさに気付き難い。だが斎藤は初めから気付いていた。川嶋の今にも消えてしまいそうな優しさが、斎藤は好きだった。

「そう、全部。顔も、スタイルも、……彼氏も。あの子は恵まれてる。だけど、成績はあたしとどっこいどっこい」

 溢れる涙で濡れた目を手の甲で擦る斎藤は、途中鼻を啜りながら言った。
 川嶋は小さく笑った。
 成績はどっこいどっこい。そこだけは、そのカノジョも恵まれなかったのかと。
 斎藤に失礼だと思いながらも、川嶋は改めて、この生徒は面白いと感じた。

「……先生笑ってる?」

 恨めしそうに川嶋を睨む斎藤の目は、真っ赤だ。ここから見ても分かる程に、鼻の下も少し光っている。

 川嶋は薄笑いを苦笑に変え、階段を上った。斎藤の立つ踊り場まで来ると、スーツのポケットからハンカチではなくポケットティッシュを取り出す。

「もっと女の子らしく泣きなさいよ」

 斎藤は川嶋からティッシュを一枚貰うと、大きく鼻をかんだ。

「……だって、どうせあたしは。……」

 斎藤はいつに無く暗い表情で、俯く。小さな子供のようだった。
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