月の恋人



好きな女の子の唇に触れられたという高揚感。

姉に、しかも眠っている間にキスしてしまったという罪悪感。



憎悪、慕情、嫉妬、性欲。


全てがごちゃまぜになって

訳もなく、暴れたくなった。


陽菜を、汚したかった。




――…誰か、俺を止めてくれよ


内側から生まれてくる
この凶暴な感情は、一体何だろう。



自分を
持て余して、リビングを飛び出した。





その曲に、特に思い入れがあった訳じゃない。

ただ、この暴れ出す感情の波を鎮めてくれるなら、何でも良かったんだ。



自室に帰り、床に突っ伏して
新調したばかりのヘッドフォンをセットすると

耳に流れこんできたのは寒くて乾いた空気と音色。



ヨハン・シュトラウスの
『美しく青きドナウ』。


作曲家が楽譜に塗り込めた
祖国への郷愁。

ゆったり流れていく河の眺めと
舞踏のためのワルツが
耳に心地好かった。



ボリュームを最大にしながら


水の流れに
静かに身を委ねて

俺の中のドロドロとしたもの全部

洗い流してしまいたかった。






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