コーヒー溺路線
 

靖彦が、自分の妻である彩子のことを心底惚れ込んで結婚したかった相手ではないと気付いたのはいつだろうか。
 

実のところは解っていたが、気が付いてはいたが、結婚をしたのかもしれない。
 

そうかもしれない。
 


 
「林さんっ、私さっき林さんの奥様見ちゃいましたよ」
 


 
靖彦が遅めの昼食を休憩室で取っていたときのことだ。休憩室にコーヒーのおかわりを注ぎに来たらしい、靖彦の同僚の沢木奈津という女性がそう言ってきた。
 


 
「林さんの奥様、彩子さんでしたっけ。凄くお綺麗ですよね」
 

 
「そうか?」
 

 
「そうですよ、女性として憧れます」
 


 
靖彦が初めて彩子と出会った情報管理部から人事異動により移動した、この新しい部署で最もよく話す相手がこの沢木奈津である。
品のある彩子とは違う、庶民的な女性である。もちろん品がないわけではないが。
 

オフィスレディーと言うよりも女子高生のような感覚で話しかけてくる、多少ミーハーな奈津を靖彦はそれなりに好いている。
 


 
「羨ましいです、林さんが旦那さんだなんて」
 

 
「……」
 

 
「結婚していると聞いた時は驚きました、まだ私と同い年なのに凄いなって」
 


 
このとき奈津が自分に好意を寄せていることを靖彦は気が付いていた。
 


 
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