求愛
「じゃあ、あのアパートってカレシさんの家だったんですか?」


珍しく彼は、突っ込んで聞いてきた。


いつもなら愛想笑いしか返さないが、今日のあたしは気分が良かったのかもしれない。



「そうそう、タカの家。
あとね、猫とかいるし、あたし毎日それなりに幸せかも、って。」


「そうですか。」


「あ、千田っちはカノジョとかいるの?」


「ははっ、どう思います?」


そう言いながら、彼は誤魔化すような顔で笑った。


まぁ、どう見たって千田さんは女経験が乏しそうな顔をしているが、良い人なのは知っているので、幸せになってほしいと思った。



「あたし今日ね、良いことあったんだ。」


目を閉じて思い出すのは、梢の涙。


でもきっと、彼女は直人との未来を拓けるだろうから。



「それは羨ましいですね。」


「千田ちんはどう?」


「ボク、今が一番最悪ですよ。」


その、ひどく冷たい声色に驚いて目を開けると、ルームミラー越しには彼の歪んだ形相が映る。


だから意志とは別に身がこわばって外を見たが、いつの間にか車は知らない路地を走っていた。



「…え、ちょっ、ねぇ…」


一体何が起こっているのかわからない。


なのに次の瞬間には、いきなり真っ暗な場所に急停車し、車を降りた彼は後部座席のドアを開けた。


もちろん、瞳孔の開いた瞳のまま。



「どうしてあなたはいつまで経っても気付いてくれないんですか?」

< 180 / 322 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop