ある一日
2.居酒屋
小雨が降る夜の都会に小さな居酒屋を発見した。居酒屋 古式 という名前だ。その建物は随分と長い歴史を持つ古めかしく、そして周辺に高層ビルが建ち並ぶ場所には似合わない所にあった。居酒屋巡りを趣味としてた私は、即この店を選んだ。
 中は数人の客がおり、おのおので酒やつまみを手にしながら、歓談を楽しんでいた。カウンターに座り、主人にビールと揚げ出し豆腐を頼んだ。主人は「あいよ」の一言だけで黙々と作業に取りかかっている。
おしぼりをの袋を開け、手を拭き、周りを見渡すと、数枚の寄せ書きを見つけた。有名な俳優やアイドルのサインが入っており、ああ流行ってるなんだなとかぐわせる。
 「お待たせしました。ビールと揚げ出し豆腐です」
女性店員がコトリと置く。自分が座っている目の前には、主人と息子らしき人が黙々と作業を続けている。おそらくこの女性店員は、この家の娘か住みこみ、もしくはバイトか何か何だろう。私はビールとずずっと一口入れ、
揚げ出し豆腐を口に入れた。良く出来た豆腐の中に良いだし汁が口の中に踊る。うん、良く出来た揚げ出しだ。すかさず、ビールを口に入れ、しばしそれらを堪能する。これが今まで自分がやってきた味わい方なのだ。
続いて、鶏の唐揚げと枝豆、刺身を頼む。主人は相変わらず「あいよ」だけ言い、注文の内容を息子と思われる人に耳打ちをする。息子らしき人はうなずき、作業に取りかかった。
ビールも良い具合に進み、ほろ酔い気分になっていたところ、初老の男が私に話しかけてきた。
 「あんた、良い飲み方してるね。どうだい、儂と付き合ってくれんかね?」
初老の男は店の常連のような風格を漂わせており、焼酎の匂いをプンプンさせている。
 「ああ、いいけど。私はビールだけどいいかね?」
 「構わんよ。飲み交わすのにそんなこと気にしちゃいかんよ。ささ、酌をしよう」
初老の男は私のビールに手をかけ、私のグラスに注いだ。私は「おっとっと」と言いながらビールをこぼさないよううまくコントロールする。
 「では、つまみも良いところで来たところで乾杯」
 「乾杯」
グラスがチンとなり、口に入れると改めて美味いと感じる。
 「ふう・・一人で飲むのも良いが、二人で飲むのも堪らない。で、あんた見たと所、恰好が良いみたいだけど、なんか仕事でもしてんのか?」
 「仕事は・・・自営みたいなもんさ。仕事が終われば、こういう店を散策しちゃ入って飲む。これが趣味なんだよ」
 「趣味か・・・いいねそういうのは。儂は
趣味とかじゃなくて、ただ飲んでるだけだからな・・・最近じゃ、手も震えてきてるんだけど、酒は止められねぇな・・・」
 「それって、アルコール依存症じゃないか?病院行かなくていいのか?」
 「いいんだよ。もう数え切れないほど入退院してんだ。医者も診きれないとかで追い出し喰らってるしな。だったら、飲んで飲んで飲みまくって死んだ方がマシってもんだ」
初老の男はぐいっとグラスの焼酎を飲み干す。気のせいか、手の震えもわずかばかりか収まっているようには見える。アルコール依存症か・・・かつて勤めていた同僚がアルコール依存症からの肝硬変で死んだっけか・・
 「おい、酒くれ酒。今日はとことん飲みたいんだ!」
初老の男は主人に声を荒げる。しかし、主人は「いい加減しろ!てめぇ、何杯飲めば気が済むんだ!これ以上飲んだら死ぬぞ!」
 「うるせぇ!儂はな酒を飲む事しか無いんだよ。いいから黙って・・・うぐぅ・・ぐぅ・・ごはぁ!」
 「おい・・どうした?おい?誰か電話!救急車を呼んでくれ!」
初老の男は吐き出し、倒れ込んだ。身体は痙攣を起こし口からは嘔吐物らしきものが出ている。周りの客もざわつき始めているが、どうしたらいいか分からない状況だ。二、三分 
してから、救急車が到着し、初老の男は病院へ搬送されていき、後に残されたのは、嘔吐物や散乱した食べ物だった。
女性店員と息子とらしき者と主人が出てきて、掃除を始めた。他の客もそれらを助けるが如く手伝いを始める。
 「やれやれ・・・あいつの身体、ボロボロなのに、よく酒が飲めるものだ・・」
主人はぶつぶつ文句を言いながら、後処理に追われている。私もこの状況では酒が飲めないため、主人の手伝いをした。
 「そんなに悪いのですか?」
 「ああ。うちに来ちゃ、また追い出されたよ!とか嬉しそうに言いやがるんだ。んで、飲んでまた入院よ。この街の周辺はそういう専門の病院が割とあるんだけど、あいつは全て行き尽くして、どの病院からも追い出されているんだ。何かあれば病院の連中とケンカしてな・・本当はそんな奴は店にも入れさせたくないんだよ。だが、あいつは俺とガキの頃から一緒だったからそうもいかねぇんだ。
だが、今度という今度は我慢にはならん。ずっと閉じ込めておいた方が身のためだ。まったく、出来の悪い弟を持ったもんだ・・」
 「お、弟!?兄弟なのか?」
 「ああ、日雇いの仕事をしていてな、終わればここに来てずっと飲んでる。最近じゃ、
仕事も行かないで朝から飲んでるんだ。典型的なアル中よ。あんた、見るからに酒が好きそうなツラしてるけど、俺の弟みてえになるんじゃねえぞ。苦しむのは自分だけじゃなくて家族や他人まで迷惑がかかるからな。あんたも気をつけた方がいいぜ。それから、今日は終いだ。それから、手伝ってくれてありがとうな。今日は金は要らねえよ」
 「でも・・・」
 「いいからいいから。こんな状況で金貰う方がどうかしてらぁ」
あらかた片付けが終わった頃は完全に酔いが冷め切っていた。女性従業員が手伝ってくれた者にウーロン茶を手配して貰い、それを飲んだ。ウーロン茶の味が良い具合に流れ、爽快感を満たしてくれる。
 「じゃ、本当に金はいいんだな?」
 「ああ、男に二言はねえよ。また来てくれよ。俺はあんたみたいなのは心から歓迎するからよ」
私は主人に礼を言い、店を後にした。外の空気は何やら濁った雰囲気だった。
 しばらくして、再びあの店に行ったが、張り紙がされていた。
 『当分の間、休止いたします。ご利用のお客様にはご迷惑がかかりますが、何卒よろしくお願いいたします。  店主』
 張り紙の隣には、『忌中』 の札が貼られていた。
その張り紙と忌中の札を見て、胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。空は、淡い青。道は数人の人々が行き交う。その中で私はタバコを吸い、張り紙を繰り返し繰り返し読み時間だけが過ぎて行くのだった。
 「酒・・・時には快楽を、時には殺人の水を・・・」ふいにその言葉が頭によぎり、私は身震いを感じながら、その場所を後にした。
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