ありのまま、愛すること。

なにを恥ずかしいと感ずるか

三浦綾子さんのエッセイに「恥ずかしい」ということについて、三保の松原の天女の話を題材に説明している箇所がありましたので、紹介したいと思います。

猟師は、天女から羽衣を返してほしいと言われ、「天人の舞を舞ってくれたら返す」と答えます。天女の返事は「羽衣がなければ舞えぬ」というもの。

しかし猟師は、羽衣を返せば舞わずに帰っていくだろうと、天女を疑っていたのです。すると、天女は言いました。「天女は嘘を申しません」と。

それに対して、猟師は「ああ、恥ずかしいことを申しました」と答えます。

三浦さんは、小学校時代にこの物語を読み、子ども心にはっと胸を突かれたそうです。「そうか、恥ずかしいとはこういうことなのか。

私はそれまで、たぶん、恥ずかしいということは人の前で話をするだとか、先生に問われて答えられないことだとか思っていたような気がする」と後述しています。

あなたにとって「恥ずかしい」こととは、どんなことでしょうか。

他の人のどんな行為を見て、「恥ずかしい行為だ」と感じるのでしょうか。

流行遅れの服を着ているとか、他人の持っている物より自分の物が劣っているとか、自分の人格とは関わりのないことに恥ずかしさを感じていませんか?

私が中学校時代、「黒い靴下」のことを本当に恥ずかしいと思っていた話は先に記した通りです。

「白い靴下が欲しい」と言えないまま履いていた、父のお古の靴下でした。

しかし、考えてみれば、これらのことはまったく本質的なことではありませんでした。

本当に恥ずかしいことは、三浦さんの場合「人を疑うこと」であったように、「人間性に反する行為」のなかにあると思います。

「恥ずかしいと思うことはしない」

私はこの言葉を、会社の行動基準の一つとしています。


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