ありのまま、愛すること。
いまでも、このときの傷が私の左手にはあります。

パッと見るたびに、あのときの母親の、心配で青ざめた顔を思い出します。

そして、「ごめんね、ごめんね」と言っていた母の気持ちが、大人になって、親になった私にはわかるようになったのです。

私は母がお腹を痛めて産んだ子。

その私がケガをするということは、母は身を切られる思いだったでしょう。

そして、自分が近くにいながらわが子にケガをさせてしまったこと。

不可抗力であれ、母は自分の責任を感じたことでしょう。

この世に生を受けたわが子を、健康に成長させることは、親の責任です。

どんなことがあっても、大きなケガや事故を起こさせてはならないと、母親であればずっと思い、祈っているはず。

だから、どんなケガであれ、たとえば風邪をひいただけでも、母親にとっては「わがこと」なのでしょう。

幸い、その後は大きな病気も、ケガもすることなく過ごしてきた私は、誰に感謝するといえば、言うまでもなく、10歳のときに亡くした母なのです。

「この傷はつくってしまったけれど、どうか、どうかこれ以上の傷をこの子に追わせないでください、後生ですから……」

そんな母の祈りが、その後の私を大病から守ってくれたのでしょう。

この傷を見るたびに、私は母に守られていることを実感してきました。

これからもそうなのだと思います。

たとえ先立ってしまったとしても、親の愛情あふれる祈りは、子どもに必ず通じるものなのです。
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