ありのまま、愛すること。
でも、今回このような形で、「お母さん」への思いを前面に出す本を発表するにあたって、私にはもう一度、これまでにチエ子さんが話してくれた言葉を振り返って、母の真意を確かめておかなければならない必要性が出てきたのです。

慢性の腎炎は、日に日に母の体調をよくない方向に持っていくものでした。

それは、幼いころの記憶としても、最大の恐怖として私を支配していました。

でも努めて、母は私の前では気丈に振る舞っていました。

いえ、気丈にという表現よりも、つねに明るく美しく、病気のことなど微塵も感じさせなかったのです。

そんな母でしたが、私の父はチエ子さんに、こんな不安を漏らしていたようです。

それは母が私を妊娠する以前のことです。

「美樹ちゃんのお父さんからね、何度か言われたことがるのよ。『最近、美智子は車を運転している最中に、急に居眠りしてしまうことがあるから怖いんだ。また腎臓がよくなくなっているようだ』って」

その話を聞いた直後に、私の母から、私を妊娠したという報をチエ子さんは聞いたのだと言います。

「みっちゃんは、こんなふうに言っていたわ。『この子を産んだら、もう自分が助からなくてもいい』って」

これを聞いたとき、私は「やはり母は命と引き換えに自分を産んだんだ」というそれまでの自分の認識通りだったとしか、考えませんでした。

しかし振り返ってみれば、チエ子さんがつづけた次の言葉を、私はよく考えなかったのかもしれません。

「でも、そう言ったときのみっちゃんの表情はね、悲しいとか、嘆かわしいとか、そういうものではなかったの。私の顔をしっかりと見て、目を見開いて、キッパリと言ったのよ」

死に向かって子を産む人間の様子ではないことに、このとき私は気づくべきだったのかもしれません。

母のその態度には、自分に近い将来やってくる悲劇を憂い、世をひねた、絶望的な様子など少しもうかがえない。

それどころか、私を産むことによって、女性としての“生命”をもう一度たぎらせたいかのような、力に満ちあふれた所作ではなかったでしょうか。

そこで私は、ある程度の確信を持った、一つの推論を立てました。

そのうえで、最近になってチエ子さんに、それを確かめることにしたのです。
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