ありのまま、愛すること。
チエ子さんは、そのように家同士のつきあいをするなかで、一度だけ母の涙を見たことがあると話していました。

それは、母が自分の母親を亡くしたあとだったそうです。

「おばあちゃんも、元気じゃなかったから仕方がないわね……」

と、涙をこぼしたんだそうです。

その一度きりで、それ以外は気丈に振る舞った母だったといいます。


産後の10年間。病気とつきあいながら、次第に症状が重篤になっていく過程を私は見てきています。

いまのように人工透析が進んだ世の中なら、あのような形で亡くなる確率も低かったであろうに。

治療はだましだましやってきたはずだし、定期検診もキチンとしていたようですが、後年は比較的体が動いたことと、仕事と家庭を両立しなければいけないことにかまけて、若干の油断もあったのではないでしょうか。

たちどころに悪くなっていき、入院しなければいけなくなったときには「余命1年」を宣告されました。

母が生前、私を文字通り「死ぬほど」愛してくれたのは、自分の命と引き換えにして産んだ子どもだったからなのだと、私は理解していました。

自分の余命がそれほど長くないということの自覚があったからこそ、社長業で縦横無尽に飛び回ったのだろうし、動き回れる“青春”を謳歌したのだとも思うのです。

そして、私を心底、愛してくれたのだと。
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