黒き藥師と久遠の花【完】
 顔が間近になり、ナウムの息遣いがよく聞こえた。
 咄嗟に動こうとしてしまったが、なぜか体は縛られたように硬直し、避けるどころか身をよじることさえできなかった。

 互いの鼻がぶつかりそうになる手前で、ナウムは動きを止めた。

「安心しろ、別に痛めつける訳じゃねぇ。だから……目ぐらい閉じろ」

 何をされるのか予想がついてしまい、みなもの瞳がわずかに揺らぐ。
 終わるまで睨みつけてやろうと思ったが、これ以上ナウムの顔を見るのが辛くて、きつく瞼を閉じた。

 早く終わってくれと願いながら、みなもはナウムの動きを待つ。と――。

 頬へ生々しく温かいものが押し付けられ、ゆっくりと離れる。
 そして、今度はそれが耳元へ移ってきた。

「ずっと気張ってたクセに、ギリギリで女の顔になったな。あの堅物男のことでも思い出していたのか?」

 耳にナウムの声が熱い吐息に乗って響き、みなもの心臓を荒々しく握ってくる。

 今、レオニードの顔を思い浮かべたら、コイツの前で泣いてしまう。

 そんな無様な姿を見せたくない一心で、みなもは視界と同じように頭の中にも暗闇を広げた。

「別に……お前を殴りたいって思いでいっぱいだよ」

 皮肉を言ったつもりだったが、ナウムは押し殺した笑いを漏らした。

「嬉しいこと言ってくれるな。俺のことで頭がいっぱいだなんて……」

 違う、と反論しかけた時。
 ナウムが耳へ、嫌になるほど優しく歯を立てられた。
 思わず声が出そうになり、みなもは唇を硬く閉ざす。

「これからずっと、そうなるようにしてやるから、楽しみにしてろよ」

 そう一言残すと、ナウムの顔が離れていく気配がした。
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