秘密



「こちらこそ、よろしくね。奏ちゃん」



そう言ってくれた成美さんの瞳は微かに潤んでいて、私は成美さんが私に気を使ってくれて、さっきみたいな事を言ったんだと思わずにはいられない。



反対なんかする筈ないのに、二人とも私に気を使いすぎだと思う。



もう子供じゃないんだから、そんな事位で反対なんかしたりしない。



「ねぇ、お父さん。そうなったらうち引っ越さないとね?」


「え?奏、アパート引っ越すの嫌がってなかったか?」


「何で嫌がるの?」



お父さんと二人でさえ時々狭く感じるアパートで、以前からもう少し広い所に引っ越したいと思っていた程なのに、何故嫌がったりしたんだろう?



「何でって…、お父さんにはわからないよ、ただ、今のままがいいって、普段我儘なんか全然言わない奏なのに、その時だけは酷く感情的になってて…、それでお父さんは成美さんとの事を反対してるんだとばかりに勝手に思ってたんだよ」



今のままがいい?
どうしてそんな事を言ったんだろう。



アルバイトの事といい、鈴の音色や、ブレスレット。



それと、佐野君の事。



この数ヵ月間の私は、一体何を考えてどんな事をしていたんだろうか?



無くしてしまった空白の時間は、不思議な事柄が多すぎて、せめて携帯が無事だったら、メールの内容なんかで、自分が何をしていたのか少しはわかるのかも知れないけれど。



でもそれは無理な事だから、益々無くしてしまった記憶が気になってしまう。



たったの3ヶ月なのに……



何事も無かったみたいにやり過ごす事が出来るならいいんだけれど、心の霧は晴れないままで、このまま普段通りの生活を送るには、どうしても違和感が残ってしまう。



「……何でそんな事言ったのかわからないけど、うちを引っ越すのは賛成だよ、お父さん」



気にしたって直ぐに思い出せる筈もないんだから、成美さんの言うように、ブレスレットや、他の何かを手にした時、もしかしたら不意に思い出す事があるかも知れないし。



今は早く怪我を治して、元気になって、お父さんや成美さんを安心させてあげなくちゃ。



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