AKIRA

 何言ってんだコイツ。そんなこと思って、無視しようとしたら、そいつは「ちょっと待て」と言って、フェンスを回り出て、駆け寄って来た。

 そこは、この区内のテニスコートだった。

 あまり使われていないようなボロいテニスコートだ。それでも、俺はそいつが自分の元に来る前にずらかろう、と思って歩き出す。

「おい!」

 そいつは、俺の腕を掴んで、無理やり振り向かせた。

「何すんだよ、離せよっ!」

「いいから、ヤな事、忘れるぜ」

 そう言って、また無理やりコートに引きずり込もうとした。

「待て待て待て! 誰がやるっつった?!」

「え?」

 と、不思議そうに振り向いて、一言「俺」と言って、また腕を引く。

 コートに入って、俺は佇んでた。二コートしかない小さなコート。誰もいない。

「やろうぜ」

 そう言って、そいつは俺に笑顔を向ける。

「でも、俺、ラケット持ってねぇ」

「俺、二本持ってるよ」

「それに、やった事ねぇ」

「俺が教えてやるよ」

 そいつは言いながら、ラケットの面にボールを弾ませて見せた。そして、満面の笑みを零した。

「俺、これでもジュニアのエース」

 親指で自分を指して自慢げに言って見せたそいつは、俺にラケットを手渡した。

「何で一人でやってんだよ」

「あぁ、今日は休みだから」

「俺、区外の人間だぜ、ここ使っても……」

「い―のい―の、俺が区内だから」

 そういう問題なのか?

「俺の入ってるジュニアクラブってさ、月水金しか練習ねぇの。でも、俺は毎日、こうやって練習してるんだ。ちょうど相手探してたとこ」

「相手って、俺じゃ」

「いーのいーの」

 また、そいつは笑う。

 そして。

「俺、強くなりたいから」

 と、眼差しを変えて、コートの先を見据えた。

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