イマージョン
用事があるから先帰るねーと舞が帰ってしまった後、やっと終わった…と一服して下に降りると何やら話し声が聞こえる。いつも早く帰っている千春が居る。私は階段の途中で足を止めた。
「シフトを変えたいんです」
「…何で?」
「その…4連勤がキツくて…」
「今になって何で、そんな事言うの?最初に言えばいいじゃん」
「最初は平気だったんです」
うつ向きながら千春は申し訳無さそうに山下さんに訴えている。山下さんはシフト表の上に苛々しながらボールペンをカツカツ鳴らしている。険悪な雰囲気…。何となく千春を残して帰るのは可哀想と思い、階段に腰かける。
「とにかく今更無理だから」
「何でですか?」
「今まで、そんなワガママ言った人居ないから」
ボールペンの音が加速度を増して行く。
「…うっ…」
あっ。と私は声が漏れてしまった。千春が泣き出してしまった。たまらず千春の背中を、さする。私は山下さんに何か言ってやりたかったけれど、普段から不真面目な自分は何も言えずにいた。千春の頭と背中を撫でるしか出来なかった。千春の啜り無く声、私が千春の頭を撫でる音、山下さんのボールペンの音だけが、お客さんの居ない静かな空間にカツカツと響き渡る。千春が、いつまでも泣き止まない事にしびれを切らしたのか、
「じゃあどーすればいーんだよ!!」
バシッとボールペンを机に叩きつける音に私達は、びくりとした。こんな山下さんは見た事が無い。店長になったプレッシャーでストレスを抱え込んでいるのかもしれない。しかし店長になって自分が、この店の1番上に立った優越感に浸っているのも私は知っている。店長しか商品を発注してはいけない決まりだと言うのに亜紀に任せているから。店長と言う立場だけ利用して、お気に入りの亜紀も利用して前の店長の様にきちんと仕事をこなしていない名前だけの店長。サボリ癖の有る社員だった頃と何ら変わっていない。自分の事を棚に上げて私に目を付け、亜紀と比較して、亜紀に気に入られようとして亜紀も生き抜いて行く為に山下さんに気に入られようとしている。舞の予想は見事に当たった。
「…もういいです!もう辞めます!」
私も腸が煮えくり返る寸前だったので山下さんを睨み付けながら千春の手を引き、その場を立ち去った。
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