はぐれ雲。
ある夜、たまたまホテルのバーでトイレに立った林のグラスを、今だと言わんばかりに捜査員が店員に下げさせた。

幸い、拭き取った形跡はなかった。

トイレから戻った林は店員に詰め寄ったという。
「ここにあった飲みかけのグラスは?」

「も、申し訳ございません。もうお帰りになったのかと勘違いいたしまして、下げさせていただきました」

「ちっ」

「なにぶん新人ですので、まだ不慣れなところがありまして。厳しく指導いたしますので、どうかお許しください。代わりに何かお持ちいたしましょうか」

「いらねぇよ!」

林は店内の客を一人一人舐めるように見て、バーを出たという。

その場にいた捜査員は、生きた心地がしなかった、後にそう振り返る。


後日、遺体から検出された微量の体液のDNAと、林達郎のDNAが一致した。

しかし、これでは彼が真梨子を殺害したという決定的な証拠にはならない。

二人が交渉を持った後に林以外の何者かに殺害された、そういう可能性もあるわけだ。

壁にぶち当たった、誰もがそう思った時、もうひとつの大きな証拠が転がり込んできた。

死体の後処理を命じられた二人の若い男が出頭してきたのだ。

なぜか顔は腫れ上がっており、ホテルの監視カメラに映っていたスーツケースを運んだ彼らとは別人のようにも見える。
しかし、発見されたスーツケースについていた指紋と、彼らの指紋が完全に一致した。

これで全てが揃った。



林哲郎は、圭条会の本部事務所の前に車をつけさせた。

待ち構えていた若い衆が後部座席のドアを開けると、深々と礼をする。

次期総長、そんな当然のような顔で林はそこに降り立った。

「なんや、もう総長気取りやないかい」
背後から聞こえたその声に、林は舌打ちをした。

その主が誰だかわかっていたからだ。

しかし、次の瞬間には満面の笑みで声のした方を振り返る。

「これはこれは。誰かと思えば、県警本部捜査一課の桜井警部補じゃないですか」とわざとらしく驚いてみせた。

桜井も呆れたように鼻で笑うと、ゆっくりと林に近寄った。

黒い服の若い連中が、桜井を威嚇するような目つきで取り囲む。

「おまえらは下がってろ」
林は言った。

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