はぐれ雲。
博子が夕食の後片付けをしている間、達也はベランダに出た。

見慣れたここからの風景も、あと数日でお別れだ。

春のせいか、せっかくの夜景も少しかすんで見える。

頬を撫でる少し冷たい風が、ほろ酔いの彼にはちょうど気持ちよかった。

<なぁ新明、博子が聞くんだよ。
俺のこと、どうしてそんなに優しいのか、って。おまえのことに、なぜそこまでおおらかになれるんだ、って。
…俺、優しくないよ。
全然おおらかじゃないよ。
時々おまえに嫉妬する自分がいて、自分でもびっくりする。おまえはもういないのにな。

博子にさっき信州に行けって言ったのは、俺とおまえ…同じ女を愛したからには、最後までフェアでありたいからだ。
ただ、それだけなんだ。
つくづく俺も損な性格だよなぁ。

おまえだって、そろそろ会いたくなっただろ、博子に。
行かせるよ、おまえの眠る場所へ。
ゆっくり話せよ。
俺に遠慮せずに、ゆっくりと…>

そっと博子の腕が背後から回される。

「おいおい、下の階の遠藤さんに見られたら、また何か言われるよ」

達也は笑って、胸に回された手に自分の手を重ねた。
ベランダの二人の様子は、確かに外から丸見えだ。

「いいのよ、言わせておけば。もうすぐ引っ越すんだし。なんなら、見て見てって叫んじゃう?」
達也の背中に頬を押し付け、彼女は笑いながら言う。

彼もつられて笑ったが、すぐに二人の間から笑いは消えた。

「…駐在に行くの、不安?」
博子が低い声で訊ねた。

「後悔してない?刑事を辞めてしまったこと…」

彼は、不安げな妻にわかるように大げさに笑ってみせた。

「何を言ってるんだよ、後悔なんてするわけないよ。俺には刑事はちょっと向いてないかもって思ってたんだ。被害者の苦しむ姿を見るのが辛いんだ。その上、加害者の事情も知ってしまうと、なんともやるせなくてさ。俺、まだ大人になりきれてないんだろうな」

「あなたは優しすぎるのよ。人を憎いと思ったりできないのよ」

「…そうかな?」

「ええ、そうよ」

「じゃあ、心機一転、駐在さんって呼ばれるのが楽しみだな」



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