はぐれ雲。
博子は達也の話が終わらないうちに、携帯を持った手を下ろした。
電話から「博子」と呼ぶ声が何度も聞こえる。
携帯を折り畳むと、その声は途切れた。
彼女は歩き出した。
足の痛みなんて、もう感じない。
<いつものことじゃない…>
達也が悪いわけではない。
刑事という仕事が憎いわけでもない。
ただこの気持ちをどこにぶつけたらいいのか、わからないのだ。
この心が助けを求めて、さまよっている。
この心が迷子になっている。
達也しかいないのだ。
この心を引き戻してくれるのは。
凍えたこの心を暖めなおしてくれるのは。
流す涙を拭ってくれるのは…
それなのに彼は…
彼は…
博子は歩く、歩き続ける。
無意識のうちに、あの人がいるかもしれない街へ。
会いたかった。
「あの人」に一目だけでも…
ほんの少し夢を見たい、そんな気持ちだった。
本通り、ここは別世界。
数万の光に包まれたこの街は多くの男女が夢を求め、幻を求め、やってくる。
毎夜くりひろげられる様々な人間の欲望、嫉妬、憎しみが渦巻いている街。
通りの左右には何百もの店が建ち並ぶ。
高級クラブ、ホストクラブ、バーやカラオケなど、数知れない。
博子は一人さまよった。
肌をあらわにした女が、男に腕をからませ横を通り過ぎていく。
プラカードを持ったホストが、店へ誘う。
何人もの人が彼女を振り返った。
魂が抜けてしまったかのような博子が、異様に思えたのだろう。
どれくらいあてもなく歩いたのか。
目の前に「本通り交番」と書かれた、大きな交番が目に飛び込んできた。
そこは、達也がまだ警察官になったばかりのころ勤務していた交番だ。