頭痛
 二人の時間は止まった。
 秋史の一言で、居心地の悪い時間に変わる。

「何者って言われても……」

「凪子と言う名前は嘘だ。派遣社員として、僕の会社に来たのは、会社の情報が目的なのか」

 強く言ったつもりはない。ただ凪子と名乗っていた女は、何も答えない。

「名前を言いなさい」

 秋史は静かに言った。
 少し時間が過ぎて、女はようやく話を切り出した。

「香澄……」
 消え入りそうな声で答えた。

「何?」

「相馬香澄よ」
 今度は強い調子ではっきりと答えた。

「何だって? 相馬……」

「そうよ。貴方の親友、相馬信一郎の妹よ」

 秋史には、金槌で殴られたような衝撃が走った。
 香澄の存在自体は知ってはいたが、殆んど記憶にもない。

 香澄は小さな頃からあまり家からも出ず、引き篭っていた。
 秋史と信一郎が遊びに誘った時も、一緒に付いてきた試しもない。

 香澄は二人を見送る訳でもなく、いつも部屋の窓から眺めていた。

 今思えば、きちんと話をしたことさえもなかった。
 それ程、香澄は陰の薄い存在だった。


「何で僕の会社にいる? 偶然なのか?」

 秋史の唇が渇く。下唇を噛んで、様子を窺う。

「いたら困るの?」

「何故か聞いている」

「私がお邪魔かしら」

 香澄はテーブルの上でコーヒーカップの縁をもてあそんでいる。さながら、問答を楽しんでいるかのようであった。

「まじめに答えて欲しい」

「お願い。車の中で話すわ」

 突然、会話を制するように言った。先程まで漂っていた微笑みすらない。

 まるで、別人だ。秋史の知らない女性だった。

「解った。店を出よう」

 秋史は乱暴に伝票を握り締め、立ち上がる。香澄もゆっくりと腰を上げた。

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