レジェンドは夢のあとに【8/18完結】
さっきまでの出来事が嘘のように静まり返った廊下。
林田さんに名前を呼ばれて、顔を上げる。
「大丈夫か?」
「あ。はい。別に、刺されたわけじゃないので」
「警察につきだしたって、良かったんだぞ」
そう言われて、あたしはタオルをじっと見つめた。
小さな赤の跡。
…ワタルがあの笑顔の下で負っていた傷は、もっと大きかったんだと思う。
ぎゅっとタオルを握り締めた。
「もういいんです。何も、起きなかったんだから。…間に合ったんだから」
「…そうか」
「でも、もしあたしが部屋に行かなかったら…どうしてたんだろう」
「ステージで、ファンの前で、何かをやらかしてたかもしれない」
そしたら、間に合わなかったかもしれない。
林田さんはそう微笑んだ。
「チアが気付いてやれて、良かったんじゃないか」
ワタルがどこまで本気であたしにナイフをかざしていたのかは分からない。
ただ、あの手は確かに震えていた。
「…あたし、わかる気がする。ワタルや、ワタルのお兄さんの気持ち」
「…」
「手に入らない才能とか、悔しさとか」
少し前までは、あたしも同じだった。
ないものを求めて、悔しくて羨ましくて。
――でも、全てはあの、アキトの一言だった。
「ないもののことばかり考えてたら、疲れてくる」。
あたしは顔を上げて、林田さんに笑いかけた。