冬うらら~猫と起爆スイッチ~

「あの…ネクタイ……すみません」

 自分でも、何を言っているのか分かっていないような、慌てた唇。

 けれども、手だけは魔法のように動いていく。

 引っ張って、くるっと回して、すっと入れて。
 きゅっと締めて。

「あ……苦しくないです? ごめんなさい!」

 絶対、彼女は自分の発言を分かっていない。

 そのセリフが最後だった。

 メイは、もう一度ぺこっと頭を下げると、たたたっとまた小走りで廊下を駆けて行ってしまったのである。

 ひらめくシャツの裾。

 パタン。

 ドアが閉まった。

 ぽけっ。

 カイトは、まだ階段で立ちつくしていた。

 いま、何が起きたのかまったくもって分からなかったのだ。

 まるで一時の鳩時計だ。

 一回だけ飛び出してすぐ消えてしまう。
 気づいた時には、もう視界にはいないのである。

 二時が来るまで待つしかないのだ。

 けれど、カイトにとっての二時は、もっとずっと後だった。

「カイト…」

 下から呼ばれる。
 時間がありませんよ、という声だ。

「わーってる!」

 まず、会社で企画会議がある。

 新ハードメーカーとの打ち合わせのための、社内打ち合わせがある。
 昼食会があって、それからメーカーとの本番の打ち合わせ。

 下手したら、その後接待に連れ込まれる可能性がある。

 もしかすると、シュウのスケジューラーには、そこまで組み込まれているかもしれなかった。

 頭の中で、今日の仕事がグルグルと回る。

 なのに、立ちつくしているのだ、自分は。
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