天体観測
僕は自分の部屋の掃除をしていないことを思い出したけれど、ソファから立ち上がろうとはしなかった。その代わりに、雨で濡れた恵美を思い出した。

恵美からはいつもの夏の匂いがしなかった。それとは違う淀んだ、未知の、匂いがした。それに戸惑ってしまったから、僕は何もしてやれなかったのだろうか。だとしたら、何て無様なんだ。根性なしなんだ。

自分自身が情けなくて、僕は力一杯フローリングを叩いた。

「ごめんね」

急に聞こえた声の方を向くと、母さんのTシャツとスキニーを着た恵美がいた。髪は十分に乾かされてなくて、頭皮にへばりついている様に見える。それだけで、恵美が恵美でなくなってしまった。そう思った。

僕は「こちらこそ」と言って、手招きをして恵美を隣に座らせた。

けれど、恵美は何も言葉を発しなかった。ただ僕の隣に座ってどこか彼方を見ている。やはり、夏の匂いはしない。未知の匂いは、絶望の、憐れみの匂いだ。その匂いを感じただけで、すべてを諦めてしまうような、そういう類の匂いだ。

僕は恵美が言いだすまでいくらでも待つ決意をした。

何があったか、だいたい検討はついている。僕らは僕らなりのスピードで進んでいたけれど、ただでさえ先にスタートした隆弘はそれ以上のスピードで僕らを置いていったんだ。僕らは間に合わなかった。言われなくてもわかっている言葉を待つのは、永遠のように長い。

「あんね……」と恵美が切り出して、僕は我に返った。

「隆弘のことだろ」

「うん」

「危ないのか?」

恵美は小さく首を横に振って、言った。

「と言うより……」

恵美は言葉を濁して、僕の肩に顔をつけた。僕はぴくりとも動かず、前を見続ける。ブラウン管が、僕らを映し出していた。

「さっき……一瞬だけ、意識……戻ってん」
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