ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
19 芽生えた気持ちの、名付け方
☆☆☆☆☆
◆瞬也side◆
蘭子を送り出した瞬也は、
テレビをつけたリビングで
ただボーッとしていた。
蘭子の言う“研修”は
今のところ名ばかりで、
これといって特別なこと
など何もしていない。
どちらかと言えば荷物持ちの
ように蘭子の仕事に同行し、
取引先とも顔を合わすような
対外的なものの時は、家で
留守番をしているだけ。
社内の一部の人間には
自分が以前面倒を見ていた
身内のようなものだと説明
したらしいが、さすがに
取引先にはいい年のお供を
連れているところなど
見せられないからだろう。
_「楽なのはいいけどね……」
今日も蘭子は対外業務
だったので、自分は朝から暇だ。
もしかしたら、ディナーの
頃には呼ばれるかもしれないが。
―――何かしようか。
なんとなくつけていた番組も
エンドロールが流れ始めた
のに気づき、一応はそんな
ことを考えてみる。
だが、したいことなど特に
何もなかった。
それに万一蘭子が電話を
してくれば、すぐに出て、
いつでも駆け付けられる
距離にいなければいけないのだ。
そんな制約を受けてまで
あえて何かをしようとは、
今の瞬也には到底思えなかった。
_(ま、夜まで体力温存って
ことだよな)
今日も日が沈むまでは、
怠惰に時間をやり過ごすだけだ。
どこか諦めのようにそう
考え、テレビのリモコンに
手を伸ばそうとした時――…。
“ピンポーン!”と室内に
響き渡った音に、瞬也は
少なからず驚いて背後を
振り返った。
そこには最新のモニター付
インターホンがある。
音はもちろんこれから出た
もので、モニターにも映像が
映し出されていた。
(なんだ……勧誘か?)
この距離では映像の細部
まではわからないが、瞬也は
そう考えたいして気にも
とめなかった。
_蘭子ならインターホンなど
鳴らすはずがないし、連絡も
せず直接訪問するような
彼女の知り合いがいるとは
思えない。
とすれば、あれは蘭子の
求めざる客。
ここは一階エントランスに
コンシェルジュも常駐する
ほどの高級マンションだ。
セールスの人間などすぐに
諦めるか、コンシェルジュに
見咎められてさっさと
帰ってしまうだろう。
と、そう思ったのだが……。
“ピンポーン!”
――以外にも、わずかの
間を開けてもう一度音が
鳴り響く。
それにも無視を続けていたら、
その後には連続で二回、
“ピンポンピンポーン!”と
急かすように鳴った。
_「……なんだ? うるさいな」
さすがに苛立ちを感じて、
瞬也はソファから立ち上がり
インターホンへと歩み寄る。
少し背中を丸めてモニター
画面を覗き込んで……次の
瞬間、瞬也は思わず大声を
あげそうになった。
「―――美咲!?」
とっさに抑えて、何とか
普通のトーンに納めたが、
驚きでさらにモニターに
顔を近づけた。
見間違いかと再確認するが、
間違いない。
画像の中にいるのは、
まぎれもなく美咲だ。
(なんで、美咲がここに――!?)
蘭子の住居を美咲が
知っているはずはない。
それなのに、なぜ?
いやそもそも、美咲は
ここに何をしに来たのか?
_瞬也は混乱した。
取り乱すなど柄にもないと
思うが、相手が美咲とあっては
自分は形無しだ。
彼女だけが、自分を乱す。
後ろ髪を引かれる思いで
別れてきた。
だがその後も、彼女のことを
完全に忘れることなんて
到底できなかった。
その彼女が、今、機械越しに
目の前にいる――…。
「……………っ」
躊躇ったが、媚薬のような
衝動が抑え切れず、瞬也は
葛藤しつつも震える指先で
通話ボタンを押した。
だが、様子を見るため
言葉は発しない。
無言で映像の中の美咲を
伺っていると、聞こえて
きたのは勢い込んだ大声だった。
『柚木クン? 柚木クンでしょ!?
ちょっと、なんで何も
言わないのよ?』
_(え―――…?)
蘭子ではなく自分の名が
呼ばれたことに、ハッと
目を見張る。
『柚木クンってば!
開けてよ! さっきから
コンシェルジュの人に
睨まれてるんだからぁっ』
焦りぎみの声が再び
スピーカーから流れてきた。
反射的に『そりゃそうだろ』と
思いながらも、瞬也は懸命に
思考を整理する。
こう話すということは……
美咲は蘭子にではなく、
自分に会いに来たという
ことか……?
(どうして――…?)
『話をしにきたのよ!
早く開けてってば!
このまま逃げるなんて
卑怯よ、コラ!』
_その答えと、『逃げるなんて』
というフレーズに心が
ピクリと反応した。
(何を言ってるんだよ。
オレは別に逃げたわけじゃ
ないだろ)
美咲を守るために、黙って
去ったというのに。
随分心外な言葉だ。
そんな思いが力となって、
とうとう瞬也はもう一度
通話ボタンを押していた。
けれど内心の渦巻く感情は
押し殺し、努めて静かな
声で告げる。
「……わかったよ。
あがってくれば」
機械の向こうで『ありがと!』
と弾む声が答えた。
解錠ボタンを押すとすぐに
バタバタと走る足音が響き、
その後通話は切れる。
_数分後、部屋前の
インターホンが鳴った。
今度は機械で答えず、瞬也は
直接玄関のドアを開けて迎える。
髪を少し乱して、寒さの
ためか鼻の頭を赤くして。
懐かしい姿が、そこにあった。
「柚木クン――…」
「……久しぶり。
てゆーかよくわかったね、ここ」
何気ない声を装い薄く
微笑んだが、そんなものは
精一杯のポーズだった。
本心では、思ってもなかった
事態に動揺している。
そしてそれ以上に、美咲を
目の前にして、抑えていた
感情が今にも溢れ出して
しまいそうだ。
「……探したのよ。
だってこうでもしなきゃ
会えないじゃない。
電話、あたしのこと着信
拒否してるでしょ?」
_「あ、バレた?」
関係を断ち切ったうえで
その声を聞いても、辛い
だけだと思ったから。
「当たり前でしょ、わかるわよ!
ホント……ひどいわよ。
何ひとつちゃんと話して
くれなくて……結局あたし
だけ、わからないこと
だらけで……」
後半は言葉を濁し、
キュッと唇を噛む美咲。
だがすぐに思いを振り切る
ようにパッと顔をあげると、
まっすぐに瞬也を見て言った。
「だから、意地でも柚木
クンに会って、面と向かって
話してやるって思って。
ここ探し当てるの
大変だったんだから」
その言葉からは、本当に
苦労したという気配が伺える。
「……調べたって、
どうやって?」
_「目には目を、歯には歯をよ。
……人に調べてもらった。
ホワイト・マリッジに乗り
込んだって、どうせつまみ
出されるだけでしょ」
「人にって、まさか……」
最後まで口にはしなかったが、
お互いの表情で会話は
成立していた。
……つまりは、探偵。
だが、“目には目を”と
いうことは――…。
「……あの人、あたしの
ことを調べて、会いに来たわ。
今までの同居人さんにも、
同じようなことされて
たんだってね」
「な―――…っ」
瞬時に怒りが体の奥から
沸き上がる。
(蘭子さんが? どうして
だよ、オレはもう戻って
きてるってのに!?)
_美咲を巻き込みたくなかった
から何も話さずここへ来た
のに、まさかひそかに
調べて接触していたなど、
思ってもいなかった。
「あの人、なんて?」
「柚木クンの様子がおかしい
から、直前の同棲相手に
何かあるんじゃないかって
調べたみたい。
それに、会社を守るような
取引したのも……」
「……………」
押し寄せる脱力感で言葉が
出なかった。
それでは美咲ももう、今回の
蘭子との取引を知っていると
いうことだ。
(なんてことしてくれんだよ、
あの人は……)
美咲は何も知らず、ただ
今まで通り仕事に打ち込んで
欲しかったのに。
_だがそんな瞬也に次に美咲が
告げたのは、さらに驚きを
煽る言葉だった。
「もう柚木クンに関わるな
って言われて、お金渡されたわ。
そうじゃなきゃ、あたしを
クビにするって」
「は―――…!?」
(……何だって? 美咲を、
クビに……!?)
眩暈のように視界が暗くなる。
怒りはさらに黒い渦を巻いて、
全身から溢れ出そうだった。
(ウソだろ……なんでっ……)
それでは守るどころか窮地に
立たせてしまっている。
だが、蘭子にそう言われた
美咲が今ここにいるという
のは、どういうことなのか?
「それで、キミは……?」
_張り詰めた声で尋ねると、
美咲は憤慨したように
大きく肩をいからせる。
「それでも何も、そんなの
突き返したに決まってるでしょ!
そんな取引、できるわけ
ないじゃない!」
「え―――…? でもそれ
じゃあキミ、仕事が――!」
蘭子はそれくらいのことは
平気でするだろう。
単なる脅しではないのだ。
「……そうね。どうなるか
わかんない。
今のところ、会社からは
何も言われてないけど」
そう言うと、美咲は心を
落ち着けるようにゆっくりと
大きな呼吸をした。
そして、まるで見えない
蘭子を睨みつけるように
キッと眉をあげて、
「だけどそれでも、あんな
卑怯な人に屈服できないもの」
_「美咲………」
苦い思いと嬉しい思い。
複雑な感情が駆け巡る。
自分はもう何年も前に、
そんな女に屈服してしまった。
そのせいで結局美咲に、
こんな迷惑をかけて
しまっているのだ。
だがそれを毅然とした
態度ではねつけた美咲が
眩しく、やはり、自分が
焦がれた存在なのだと痛感
する……。
「バカだな……受け取れば
いいのに、手切れ金」
ポロリと漏らした言葉にも、
美咲は即座に反論した。
「受け取らないわよ。
いくら積まれたって、
そんなのありえない」
「美咲……でも今の仕事は、
キミにとってかけがえの
ないものじゃないのか?」
_「かけがえないわよ。
当然でしょ。
でも――もう決めたの。
だから、かまわない」
「決めた?
って、何を――…?」
首をかしげる瞬也の視線と
美咲の視線が、しっかりと
絡み合う。
まっすぐに瞬也を見上げて、
美咲は言った。
「――あの人から、あなたを
取り戻すわ、柚木クン。
そう、決めたの」
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
――――そう。
もう迷わないって、心に決めた。
あの人に札束を突きつけ
られた時真っ先に思ったのは、
こんな形で終わりにするの
だけは嫌、っていうことだった。
何を? ―――そう、
柚木クンとのことをだ。
散々あたしを振り回して、
そうしていなくなった柚木クン。
だけど彼はいつの間にか
棲み着いちゃってた。
家にだけじゃない。
あたしの心の、深い所にも。
柚木クンがいなくなってから、
ようやくそれに気づいた。
この気持ちが何なのか。
それはよくわからないって、
思ってたつもりだったけど……。
_(このまま別れるなんて嫌だ。
そう思った時に、きっと
もう答えは出てたんだよね――)
……だからもう、迷わない。
ウジウジしている間に
取り返しがつかなくなって、
答えを告げることもなく終わる。
そんなのだけは、絶対に
嫌だから。
「柚木クンは……ずるいよ。
人には幸せだと思い込もうと
してるとか、自分をごまかすな
とか散々言っといて。
自分だって全然、
できてないじゃない――」
広いリビングに二人突っ立った
まま、ジッと彼を見つめて言う。
柚木クンはピクリと頬を
震わせたけれど、何も返事は
しなかった。
あたしはかまわず言葉を続ける。
_「本当は、蘭子さんとの
こんな関係嫌なんでしょ?
やめたいって思ってるんでしょ?
だったらやめるべきだよ、
絶対に」
「美咲――オレは――…」
口を開いたものの、その先の
セリフは続かなかった。
説明する言葉が見つからない、
という表情。
(……わかってる。
あたしには、柚木クンの
気持ちを本当に理解する
ことなんてできない……)
あたしは親を失って一人
ぼっちになったこともないし、
彼と同じ状況に陥った
こともない。
蘭子さんとの関係と、その
時の自分を守るために、
当時の彼にはそれが“最善”
だったんだろう。
柚木クンは賢い人だ。
ただ流されてそうなっただ
なんてことは、ないはずだから。
_だけどそれでも、今の彼には
あたしは何度でも言いたい。
もう、やめるべきだって。
本当は柚木クンだって
とっくに気づいてるはずなんだ。
でも、諦めてしまってる。
だけどそれじゃあ……
ごまかし続けるだけじゃ
一生幸せにはなれないし、
何も手に入らない。
「キミが言ったのよ。
あたしのこと手に入れたいって。
あれは、嘘?」
絡んだ視線の先で、柚木クンが
ビクッと肩を震わせた。
動作のひとつひとつも、
あたしの知るすました
態度とは全く違う。
きっとこれが、今の
柚木クンの心。
_「嘘じゃないなら、
最後まで貫いてよ。
自分から仕掛けといて
途中で逃げるなんて、反則」
……最初から最後まで
反則なんて、許さないよ。
最後はちゃんと、納得の
いく答え見せてくれなきゃ。
「―――逃げたつもりはないよ」
ようやく柚木クンが低く
呟くようにそう言った。
顔には、微妙な苦笑いを
浮かべてる。
「貫いてよかったなら、
どれだけでも貫いた。
だけど――奪えないじゃないか。
キミから、キミの大切なものを」
「柚木クン……」
わかるよ、今なら。
それが、柚木クンなりの優しさ。
あたしを守るためにやって
くれたことなんだよね。
_だけど、タイミングが悪かった。
というか、手遅れだったと
いうべきかな?
その時にはもう、あたしに
とって柚木クンは、黙って
忘れていけるような存在
じゃなかったんだから。
「会社を吸収合併から
救ってくれたのは、ありがとう。
あたしもいつまで社員で
いられるかわかんないけど、
それは本当に感謝してる」
言いながら、あたしは
小さく右足を踏み出した。
柚木クンとの距離が、
さらに縮まる。
「だけど、あたしにも
ちゃんと責任取って。
仕事も会社も大切だよ。
だけどもう、このままじゃ
終われない」
_――仕掛けられた恋は、
いつの間にか始まって
しまってたから。
「美咲―――…」
柚木クンが、驚きで
マジマジとあたしを見た。
その呆然とした顔に、
あたしは迷わず続ける。
「もうあの人とのことは
やめて、あたしと一緒に行こう?
仕事も会社も、まだ何か
守る方法はあるかもしれない。
それにあたしは取引なんか
じゃなく、正々堂々、
戦って勝ちたいと思う」
蘭子さんの目的は柚木クンを
手に入れることだから、
柚木クンが犠牲になれば
取引は簡単だった。
でもそれじゃ意味がない。
それは、本当の勝ちじゃない。
_「仕返しされても、
あたしは全力で戦うよ。
精一杯、戦う」
「……無理だよ。
この業界でのあの人の力は
わかってるだろ。
美咲なんて、簡単に
辞めさせられる。会社も
あっという間に乗っ取られるよ」
吐き捨てるように
柚木クンが言った。
だけどあたしはひるまない。
「もしそうなったら、
一人で仕事していくよ。
ううん……二人で、かな」
「二人でって、まさか――?」
「そう。個人でだって
出会いサポートの仕事は
できるよ。
小さな部屋を借りて、
事務所にして。自分達の
足で駆けずり回って、
お客様を見つければいい。
サークルみたいのから
始めて、いつかはちゃんと
した会社にするの」
_これが、何度も何度も考えて
最後に出した、あたしの答え。
「ハッ――何夢みたいな
こと言ってんの。
そんなこと、そう簡単に
できることじゃ――」
「できるよ! あたしと
柚木クンの、ノウハウと
才能を合わせれば。
できないなんて最初から
決めてどうするの。
やってみて、そこから
初めて可能性が生まれるん
でしょ」
どんなことだって、動いて
みなきゃどうなるかわからない。
そう――もし柚木クンが
あたしに関わってこなければ、
きっとあたし達が触れ合う
ことなんて一生なかったように。
何が待つかわからない未来。
だけどあたしは最善の未来を
勝ち取れるように、あがきたい。
どれだけでも。
_「戦おうよ、一緒に。
あたしは柚木クンと、
戦いたいのよ――…」
「美咲――――」
いつの間にか、あたし達の
間に距離はほとんどなかった。
知らぬ間に、互いに
歩み寄ってたみたい。
手を伸ばせば触れられる
近い距離に、柚木クンの
顔がある。
メガネで隠してない裸の
瞳に、あたしが映ってた。
「――これが、あたしの
気持ちよ。正真正銘の」
柚木クンと関わるまでの
あたしは、日常という
緩慢な平和の中にどっぷり
浸かってたよね。
変わらないこと、何も
起こらないことが幸せだと、
勝手に思ってた。
_だけどそれは違うと教えて
くれたのは、柚木クンだ。
柚木クンが強引にあたしを
振り回すことがなければ――
きっとあたしは今も、拓巳の
浮気に気づくこともなく、
代わり映えのない毎日を
送っていただろう。
(だけどもう、あたしは
そんな日々を求めない。
苦しくても大変でも、
幸せになるための道を歩くよ)
27歳にして、人生の大勝負。
それもいいじゃないかと、
今は本気で思ってる。
――柚木クンが一緒なら、
きっとそれは苦しいだけの
道じゃないはずだから。
「……一緒に行こうよ。
キミの家は、ここじゃないよ」
_柚木クンの瞳をまっすぐに
見上げて、ゆっくりと
紡いだ言葉。
その言葉に――ようやく
柚木クンの頑なな心が
緩んだのがわかった。
あたしを見下ろす目が
優しく細められ、唇には
穏やかな笑みが徐々に
広がっていったから。
「まったく、美咲は……」
呟きながら、その表情は
どんどんと輝きを取り
戻していく。
あたしの知る、本当の
柚木クンの顔に。
「それじゃあ、オレのホントの
家はどこだって言うつもり?」
どこか面白がってるような
問いかけに、あたしは
戸惑うことなくシレッと答えた。
「だからそれは、これから
見つけるんでしょ。
居候じゃなくて、ちゃんと
した自分の部屋、借りるのよ」
_その瞬間、柚木クンは堪え
切れなくなったように、
プッと噴き出して大声で
笑い始める。
「アハハッ――たしかに、
違いないね」
そうしてひとしきり笑った
後、柚木クンは目尻を
拭いながら言った。
「いいよ、自分の部屋借りても。
でもきっと、毎晩美咲に
会いたくて、ほとんど
帰んないかもだけど」
「えっ? 何言って――…」
「だってそうでしょ。
わかってくれたんじゃないの。
オレがどれだけ、美咲の
こと本気で好きか」
「えっ? そ、それはっ……」
にわかに鼓動が速くなってきた。
ドギマギして、頬に
カーッと血がのぼる感覚。
_身を呈してあたしを守ろうと
してくれた柚木クン。
どんなポーズを気取っても、
その本心にもう気づいてる
つもりだけれど。
「……ダメだよ。今さら
そんな顔したって、もう
抑えきかないから」
「えっ……ちょっとやだっ、
ここは――!」
突然苦しいほど強く
抱きしめられて、あたしは
体をよじらせながら叫んだ。
でも、ホントにダメ。
柚木クンは情け容赦なく
抱きすくめる腕に力を
込めてきて、拘束は少しも
緩まない。
胸が押し潰されそうなほど
強く強く正面から抱きしめ
られて、髪に柚木クンの
熱い息を感じた。
_「そんなに言うなら奪ってやる。
美咲の全部、オレが貰うよ。
後で後悔しても、返して
やらないから」
甘い声で囁いて、柚木クンは
少しだけ腕を緩めると、
片手であたしのアゴをとった。
クイッと上を向かされ、
至近距離で彼と瞳が重なる。
「―――いいの、美咲?」
逃げ道はないよと、最後の
確認とばかりに問いかける声。
「……そんなの………」
……そんな質問、今さらだ。
「後悔するかもなんて
思ってたら、来ないわよ」
ほんの少し速い口調で、
でも、しっかりと答えた。
早口になったのは、
緊張してるからじゃない。
柚木クンの温もりに触れて、
あたしの心と体が、
声もなく喜んでるから。
_気づかないうちに――
あたしはもう、この声と
体温に、甘く溶かされる
体質になってしまったみたいだ。
「んっ―――…」
焼けるように熱く、唇が
深く重なった。
痺れるような激しいキス。
柚木クンの唇は、あたしの
中の色んなものを侵食してく。
「好きだよ、美咲。
ずっと、オレだけのものに
したかった」
「ん………。
柚木クン、ここは……」
内から来る衝動は、あたしも
抑えられない。
だけどここは、あの
女の人の部屋だ。
「……行こうよ。
ここじゃない所へ」
キスを中断して囁くと、
柚木クンも『もっともだ』
と言うように頷いた。
_そして名残惜しそうに体を
離すと、リビングから奥に
続く部屋へと移動し、中に
入っていく。
すぐに出てきた彼はコートを
来て、ペットケージを
持っていた。
「ファズ? そこにいるの?」
「あぁ。昼寝中」
「そっか。ていうか、
他の荷物は?」
「別にいらない。ここに
ある物で持っていきたい
物なんて、何もないよ」
そう即答して、柚木クンは
笑った。
そうして『ちょっと待ってて』
と言って一度ペットケージを
床に置くと、壁際にある
棚へと歩み寄る。
引き出しを開けて取り出した
のは、パスケースのような
掌に収まる小さな物。
_「…………?」
あたしが不思議に思いつつ
見守る前で、柚木クンは
その中から紙片を抜き出し……
そして一呼吸つくと、一気に
それをビリビリとふたつに
破いた。
「ちょっと……何してるのよ、
それ?」
少しだけ不安になって
尋ねると、柚木クンはそれを
近くのゴミ箱に投げ込んで、
「ん? オレなりの、決別」
「柚木クン……」
詳しいことは全然わからない。
でもその表情が、今まで
見たことがないくらい
晴やかで眩しかったから、
あたしはそれ以上は何も
言わなかった。
「――じゃあ、行こうか」
再びケージを持ち上げて、
柚木クンが笑う。
「――――うん」
ゆっくりと頷いて、あたし
達は肩を寄せ合ってその
部屋を出た――…。
☆☆☆☆☆
_
◆瞬也side◆
蘭子を送り出した瞬也は、
テレビをつけたリビングで
ただボーッとしていた。
蘭子の言う“研修”は
今のところ名ばかりで、
これといって特別なこと
など何もしていない。
どちらかと言えば荷物持ちの
ように蘭子の仕事に同行し、
取引先とも顔を合わすような
対外的なものの時は、家で
留守番をしているだけ。
社内の一部の人間には
自分が以前面倒を見ていた
身内のようなものだと説明
したらしいが、さすがに
取引先にはいい年のお供を
連れているところなど
見せられないからだろう。
_「楽なのはいいけどね……」
今日も蘭子は対外業務
だったので、自分は朝から暇だ。
もしかしたら、ディナーの
頃には呼ばれるかもしれないが。
―――何かしようか。
なんとなくつけていた番組も
エンドロールが流れ始めた
のに気づき、一応はそんな
ことを考えてみる。
だが、したいことなど特に
何もなかった。
それに万一蘭子が電話を
してくれば、すぐに出て、
いつでも駆け付けられる
距離にいなければいけないのだ。
そんな制約を受けてまで
あえて何かをしようとは、
今の瞬也には到底思えなかった。
_(ま、夜まで体力温存って
ことだよな)
今日も日が沈むまでは、
怠惰に時間をやり過ごすだけだ。
どこか諦めのようにそう
考え、テレビのリモコンに
手を伸ばそうとした時――…。
“ピンポーン!”と室内に
響き渡った音に、瞬也は
少なからず驚いて背後を
振り返った。
そこには最新のモニター付
インターホンがある。
音はもちろんこれから出た
もので、モニターにも映像が
映し出されていた。
(なんだ……勧誘か?)
この距離では映像の細部
まではわからないが、瞬也は
そう考えたいして気にも
とめなかった。
_蘭子ならインターホンなど
鳴らすはずがないし、連絡も
せず直接訪問するような
彼女の知り合いがいるとは
思えない。
とすれば、あれは蘭子の
求めざる客。
ここは一階エントランスに
コンシェルジュも常駐する
ほどの高級マンションだ。
セールスの人間などすぐに
諦めるか、コンシェルジュに
見咎められてさっさと
帰ってしまうだろう。
と、そう思ったのだが……。
“ピンポーン!”
――以外にも、わずかの
間を開けてもう一度音が
鳴り響く。
それにも無視を続けていたら、
その後には連続で二回、
“ピンポンピンポーン!”と
急かすように鳴った。
_「……なんだ? うるさいな」
さすがに苛立ちを感じて、
瞬也はソファから立ち上がり
インターホンへと歩み寄る。
少し背中を丸めてモニター
画面を覗き込んで……次の
瞬間、瞬也は思わず大声を
あげそうになった。
「―――美咲!?」
とっさに抑えて、何とか
普通のトーンに納めたが、
驚きでさらにモニターに
顔を近づけた。
見間違いかと再確認するが、
間違いない。
画像の中にいるのは、
まぎれもなく美咲だ。
(なんで、美咲がここに――!?)
蘭子の住居を美咲が
知っているはずはない。
それなのに、なぜ?
いやそもそも、美咲は
ここに何をしに来たのか?
_瞬也は混乱した。
取り乱すなど柄にもないと
思うが、相手が美咲とあっては
自分は形無しだ。
彼女だけが、自分を乱す。
後ろ髪を引かれる思いで
別れてきた。
だがその後も、彼女のことを
完全に忘れることなんて
到底できなかった。
その彼女が、今、機械越しに
目の前にいる――…。
「……………っ」
躊躇ったが、媚薬のような
衝動が抑え切れず、瞬也は
葛藤しつつも震える指先で
通話ボタンを押した。
だが、様子を見るため
言葉は発しない。
無言で映像の中の美咲を
伺っていると、聞こえて
きたのは勢い込んだ大声だった。
『柚木クン? 柚木クンでしょ!?
ちょっと、なんで何も
言わないのよ?』
_(え―――…?)
蘭子ではなく自分の名が
呼ばれたことに、ハッと
目を見張る。
『柚木クンってば!
開けてよ! さっきから
コンシェルジュの人に
睨まれてるんだからぁっ』
焦りぎみの声が再び
スピーカーから流れてきた。
反射的に『そりゃそうだろ』と
思いながらも、瞬也は懸命に
思考を整理する。
こう話すということは……
美咲は蘭子にではなく、
自分に会いに来たという
ことか……?
(どうして――…?)
『話をしにきたのよ!
早く開けてってば!
このまま逃げるなんて
卑怯よ、コラ!』
_その答えと、『逃げるなんて』
というフレーズに心が
ピクリと反応した。
(何を言ってるんだよ。
オレは別に逃げたわけじゃ
ないだろ)
美咲を守るために、黙って
去ったというのに。
随分心外な言葉だ。
そんな思いが力となって、
とうとう瞬也はもう一度
通話ボタンを押していた。
けれど内心の渦巻く感情は
押し殺し、努めて静かな
声で告げる。
「……わかったよ。
あがってくれば」
機械の向こうで『ありがと!』
と弾む声が答えた。
解錠ボタンを押すとすぐに
バタバタと走る足音が響き、
その後通話は切れる。
_数分後、部屋前の
インターホンが鳴った。
今度は機械で答えず、瞬也は
直接玄関のドアを開けて迎える。
髪を少し乱して、寒さの
ためか鼻の頭を赤くして。
懐かしい姿が、そこにあった。
「柚木クン――…」
「……久しぶり。
てゆーかよくわかったね、ここ」
何気ない声を装い薄く
微笑んだが、そんなものは
精一杯のポーズだった。
本心では、思ってもなかった
事態に動揺している。
そしてそれ以上に、美咲を
目の前にして、抑えていた
感情が今にも溢れ出して
しまいそうだ。
「……探したのよ。
だってこうでもしなきゃ
会えないじゃない。
電話、あたしのこと着信
拒否してるでしょ?」
_「あ、バレた?」
関係を断ち切ったうえで
その声を聞いても、辛い
だけだと思ったから。
「当たり前でしょ、わかるわよ!
ホント……ひどいわよ。
何ひとつちゃんと話して
くれなくて……結局あたし
だけ、わからないこと
だらけで……」
後半は言葉を濁し、
キュッと唇を噛む美咲。
だがすぐに思いを振り切る
ようにパッと顔をあげると、
まっすぐに瞬也を見て言った。
「だから、意地でも柚木
クンに会って、面と向かって
話してやるって思って。
ここ探し当てるの
大変だったんだから」
その言葉からは、本当に
苦労したという気配が伺える。
「……調べたって、
どうやって?」
_「目には目を、歯には歯をよ。
……人に調べてもらった。
ホワイト・マリッジに乗り
込んだって、どうせつまみ
出されるだけでしょ」
「人にって、まさか……」
最後まで口にはしなかったが、
お互いの表情で会話は
成立していた。
……つまりは、探偵。
だが、“目には目を”と
いうことは――…。
「……あの人、あたしの
ことを調べて、会いに来たわ。
今までの同居人さんにも、
同じようなことされて
たんだってね」
「な―――…っ」
瞬時に怒りが体の奥から
沸き上がる。
(蘭子さんが? どうして
だよ、オレはもう戻って
きてるってのに!?)
_美咲を巻き込みたくなかった
から何も話さずここへ来た
のに、まさかひそかに
調べて接触していたなど、
思ってもいなかった。
「あの人、なんて?」
「柚木クンの様子がおかしい
から、直前の同棲相手に
何かあるんじゃないかって
調べたみたい。
それに、会社を守るような
取引したのも……」
「……………」
押し寄せる脱力感で言葉が
出なかった。
それでは美咲ももう、今回の
蘭子との取引を知っていると
いうことだ。
(なんてことしてくれんだよ、
あの人は……)
美咲は何も知らず、ただ
今まで通り仕事に打ち込んで
欲しかったのに。
_だがそんな瞬也に次に美咲が
告げたのは、さらに驚きを
煽る言葉だった。
「もう柚木クンに関わるな
って言われて、お金渡されたわ。
そうじゃなきゃ、あたしを
クビにするって」
「は―――…!?」
(……何だって? 美咲を、
クビに……!?)
眩暈のように視界が暗くなる。
怒りはさらに黒い渦を巻いて、
全身から溢れ出そうだった。
(ウソだろ……なんでっ……)
それでは守るどころか窮地に
立たせてしまっている。
だが、蘭子にそう言われた
美咲が今ここにいるという
のは、どういうことなのか?
「それで、キミは……?」
_張り詰めた声で尋ねると、
美咲は憤慨したように
大きく肩をいからせる。
「それでも何も、そんなの
突き返したに決まってるでしょ!
そんな取引、できるわけ
ないじゃない!」
「え―――…? でもそれ
じゃあキミ、仕事が――!」
蘭子はそれくらいのことは
平気でするだろう。
単なる脅しではないのだ。
「……そうね。どうなるか
わかんない。
今のところ、会社からは
何も言われてないけど」
そう言うと、美咲は心を
落ち着けるようにゆっくりと
大きな呼吸をした。
そして、まるで見えない
蘭子を睨みつけるように
キッと眉をあげて、
「だけどそれでも、あんな
卑怯な人に屈服できないもの」
_「美咲………」
苦い思いと嬉しい思い。
複雑な感情が駆け巡る。
自分はもう何年も前に、
そんな女に屈服してしまった。
そのせいで結局美咲に、
こんな迷惑をかけて
しまっているのだ。
だがそれを毅然とした
態度ではねつけた美咲が
眩しく、やはり、自分が
焦がれた存在なのだと痛感
する……。
「バカだな……受け取れば
いいのに、手切れ金」
ポロリと漏らした言葉にも、
美咲は即座に反論した。
「受け取らないわよ。
いくら積まれたって、
そんなのありえない」
「美咲……でも今の仕事は、
キミにとってかけがえの
ないものじゃないのか?」
_「かけがえないわよ。
当然でしょ。
でも――もう決めたの。
だから、かまわない」
「決めた?
って、何を――…?」
首をかしげる瞬也の視線と
美咲の視線が、しっかりと
絡み合う。
まっすぐに瞬也を見上げて、
美咲は言った。
「――あの人から、あなたを
取り戻すわ、柚木クン。
そう、決めたの」
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
――――そう。
もう迷わないって、心に決めた。
あの人に札束を突きつけ
られた時真っ先に思ったのは、
こんな形で終わりにするの
だけは嫌、っていうことだった。
何を? ―――そう、
柚木クンとのことをだ。
散々あたしを振り回して、
そうしていなくなった柚木クン。
だけど彼はいつの間にか
棲み着いちゃってた。
家にだけじゃない。
あたしの心の、深い所にも。
柚木クンがいなくなってから、
ようやくそれに気づいた。
この気持ちが何なのか。
それはよくわからないって、
思ってたつもりだったけど……。
_(このまま別れるなんて嫌だ。
そう思った時に、きっと
もう答えは出てたんだよね――)
……だからもう、迷わない。
ウジウジしている間に
取り返しがつかなくなって、
答えを告げることもなく終わる。
そんなのだけは、絶対に
嫌だから。
「柚木クンは……ずるいよ。
人には幸せだと思い込もうと
してるとか、自分をごまかすな
とか散々言っといて。
自分だって全然、
できてないじゃない――」
広いリビングに二人突っ立った
まま、ジッと彼を見つめて言う。
柚木クンはピクリと頬を
震わせたけれど、何も返事は
しなかった。
あたしはかまわず言葉を続ける。
_「本当は、蘭子さんとの
こんな関係嫌なんでしょ?
やめたいって思ってるんでしょ?
だったらやめるべきだよ、
絶対に」
「美咲――オレは――…」
口を開いたものの、その先の
セリフは続かなかった。
説明する言葉が見つからない、
という表情。
(……わかってる。
あたしには、柚木クンの
気持ちを本当に理解する
ことなんてできない……)
あたしは親を失って一人
ぼっちになったこともないし、
彼と同じ状況に陥った
こともない。
蘭子さんとの関係と、その
時の自分を守るために、
当時の彼にはそれが“最善”
だったんだろう。
柚木クンは賢い人だ。
ただ流されてそうなっただ
なんてことは、ないはずだから。
_だけどそれでも、今の彼には
あたしは何度でも言いたい。
もう、やめるべきだって。
本当は柚木クンだって
とっくに気づいてるはずなんだ。
でも、諦めてしまってる。
だけどそれじゃあ……
ごまかし続けるだけじゃ
一生幸せにはなれないし、
何も手に入らない。
「キミが言ったのよ。
あたしのこと手に入れたいって。
あれは、嘘?」
絡んだ視線の先で、柚木クンが
ビクッと肩を震わせた。
動作のひとつひとつも、
あたしの知るすました
態度とは全く違う。
きっとこれが、今の
柚木クンの心。
_「嘘じゃないなら、
最後まで貫いてよ。
自分から仕掛けといて
途中で逃げるなんて、反則」
……最初から最後まで
反則なんて、許さないよ。
最後はちゃんと、納得の
いく答え見せてくれなきゃ。
「―――逃げたつもりはないよ」
ようやく柚木クンが低く
呟くようにそう言った。
顔には、微妙な苦笑いを
浮かべてる。
「貫いてよかったなら、
どれだけでも貫いた。
だけど――奪えないじゃないか。
キミから、キミの大切なものを」
「柚木クン……」
わかるよ、今なら。
それが、柚木クンなりの優しさ。
あたしを守るためにやって
くれたことなんだよね。
_だけど、タイミングが悪かった。
というか、手遅れだったと
いうべきかな?
その時にはもう、あたしに
とって柚木クンは、黙って
忘れていけるような存在
じゃなかったんだから。
「会社を吸収合併から
救ってくれたのは、ありがとう。
あたしもいつまで社員で
いられるかわかんないけど、
それは本当に感謝してる」
言いながら、あたしは
小さく右足を踏み出した。
柚木クンとの距離が、
さらに縮まる。
「だけど、あたしにも
ちゃんと責任取って。
仕事も会社も大切だよ。
だけどもう、このままじゃ
終われない」
_――仕掛けられた恋は、
いつの間にか始まって
しまってたから。
「美咲―――…」
柚木クンが、驚きで
マジマジとあたしを見た。
その呆然とした顔に、
あたしは迷わず続ける。
「もうあの人とのことは
やめて、あたしと一緒に行こう?
仕事も会社も、まだ何か
守る方法はあるかもしれない。
それにあたしは取引なんか
じゃなく、正々堂々、
戦って勝ちたいと思う」
蘭子さんの目的は柚木クンを
手に入れることだから、
柚木クンが犠牲になれば
取引は簡単だった。
でもそれじゃ意味がない。
それは、本当の勝ちじゃない。
_「仕返しされても、
あたしは全力で戦うよ。
精一杯、戦う」
「……無理だよ。
この業界でのあの人の力は
わかってるだろ。
美咲なんて、簡単に
辞めさせられる。会社も
あっという間に乗っ取られるよ」
吐き捨てるように
柚木クンが言った。
だけどあたしはひるまない。
「もしそうなったら、
一人で仕事していくよ。
ううん……二人で、かな」
「二人でって、まさか――?」
「そう。個人でだって
出会いサポートの仕事は
できるよ。
小さな部屋を借りて、
事務所にして。自分達の
足で駆けずり回って、
お客様を見つければいい。
サークルみたいのから
始めて、いつかはちゃんと
した会社にするの」
_これが、何度も何度も考えて
最後に出した、あたしの答え。
「ハッ――何夢みたいな
こと言ってんの。
そんなこと、そう簡単に
できることじゃ――」
「できるよ! あたしと
柚木クンの、ノウハウと
才能を合わせれば。
できないなんて最初から
決めてどうするの。
やってみて、そこから
初めて可能性が生まれるん
でしょ」
どんなことだって、動いて
みなきゃどうなるかわからない。
そう――もし柚木クンが
あたしに関わってこなければ、
きっとあたし達が触れ合う
ことなんて一生なかったように。
何が待つかわからない未来。
だけどあたしは最善の未来を
勝ち取れるように、あがきたい。
どれだけでも。
_「戦おうよ、一緒に。
あたしは柚木クンと、
戦いたいのよ――…」
「美咲――――」
いつの間にか、あたし達の
間に距離はほとんどなかった。
知らぬ間に、互いに
歩み寄ってたみたい。
手を伸ばせば触れられる
近い距離に、柚木クンの
顔がある。
メガネで隠してない裸の
瞳に、あたしが映ってた。
「――これが、あたしの
気持ちよ。正真正銘の」
柚木クンと関わるまでの
あたしは、日常という
緩慢な平和の中にどっぷり
浸かってたよね。
変わらないこと、何も
起こらないことが幸せだと、
勝手に思ってた。
_だけどそれは違うと教えて
くれたのは、柚木クンだ。
柚木クンが強引にあたしを
振り回すことがなければ――
きっとあたしは今も、拓巳の
浮気に気づくこともなく、
代わり映えのない毎日を
送っていただろう。
(だけどもう、あたしは
そんな日々を求めない。
苦しくても大変でも、
幸せになるための道を歩くよ)
27歳にして、人生の大勝負。
それもいいじゃないかと、
今は本気で思ってる。
――柚木クンが一緒なら、
きっとそれは苦しいだけの
道じゃないはずだから。
「……一緒に行こうよ。
キミの家は、ここじゃないよ」
_柚木クンの瞳をまっすぐに
見上げて、ゆっくりと
紡いだ言葉。
その言葉に――ようやく
柚木クンの頑なな心が
緩んだのがわかった。
あたしを見下ろす目が
優しく細められ、唇には
穏やかな笑みが徐々に
広がっていったから。
「まったく、美咲は……」
呟きながら、その表情は
どんどんと輝きを取り
戻していく。
あたしの知る、本当の
柚木クンの顔に。
「それじゃあ、オレのホントの
家はどこだって言うつもり?」
どこか面白がってるような
問いかけに、あたしは
戸惑うことなくシレッと答えた。
「だからそれは、これから
見つけるんでしょ。
居候じゃなくて、ちゃんと
した自分の部屋、借りるのよ」
_その瞬間、柚木クンは堪え
切れなくなったように、
プッと噴き出して大声で
笑い始める。
「アハハッ――たしかに、
違いないね」
そうしてひとしきり笑った
後、柚木クンは目尻を
拭いながら言った。
「いいよ、自分の部屋借りても。
でもきっと、毎晩美咲に
会いたくて、ほとんど
帰んないかもだけど」
「えっ? 何言って――…」
「だってそうでしょ。
わかってくれたんじゃないの。
オレがどれだけ、美咲の
こと本気で好きか」
「えっ? そ、それはっ……」
にわかに鼓動が速くなってきた。
ドギマギして、頬に
カーッと血がのぼる感覚。
_身を呈してあたしを守ろうと
してくれた柚木クン。
どんなポーズを気取っても、
その本心にもう気づいてる
つもりだけれど。
「……ダメだよ。今さら
そんな顔したって、もう
抑えきかないから」
「えっ……ちょっとやだっ、
ここは――!」
突然苦しいほど強く
抱きしめられて、あたしは
体をよじらせながら叫んだ。
でも、ホントにダメ。
柚木クンは情け容赦なく
抱きすくめる腕に力を
込めてきて、拘束は少しも
緩まない。
胸が押し潰されそうなほど
強く強く正面から抱きしめ
られて、髪に柚木クンの
熱い息を感じた。
_「そんなに言うなら奪ってやる。
美咲の全部、オレが貰うよ。
後で後悔しても、返して
やらないから」
甘い声で囁いて、柚木クンは
少しだけ腕を緩めると、
片手であたしのアゴをとった。
クイッと上を向かされ、
至近距離で彼と瞳が重なる。
「―――いいの、美咲?」
逃げ道はないよと、最後の
確認とばかりに問いかける声。
「……そんなの………」
……そんな質問、今さらだ。
「後悔するかもなんて
思ってたら、来ないわよ」
ほんの少し速い口調で、
でも、しっかりと答えた。
早口になったのは、
緊張してるからじゃない。
柚木クンの温もりに触れて、
あたしの心と体が、
声もなく喜んでるから。
_気づかないうちに――
あたしはもう、この声と
体温に、甘く溶かされる
体質になってしまったみたいだ。
「んっ―――…」
焼けるように熱く、唇が
深く重なった。
痺れるような激しいキス。
柚木クンの唇は、あたしの
中の色んなものを侵食してく。
「好きだよ、美咲。
ずっと、オレだけのものに
したかった」
「ん………。
柚木クン、ここは……」
内から来る衝動は、あたしも
抑えられない。
だけどここは、あの
女の人の部屋だ。
「……行こうよ。
ここじゃない所へ」
キスを中断して囁くと、
柚木クンも『もっともだ』
と言うように頷いた。
_そして名残惜しそうに体を
離すと、リビングから奥に
続く部屋へと移動し、中に
入っていく。
すぐに出てきた彼はコートを
来て、ペットケージを
持っていた。
「ファズ? そこにいるの?」
「あぁ。昼寝中」
「そっか。ていうか、
他の荷物は?」
「別にいらない。ここに
ある物で持っていきたい
物なんて、何もないよ」
そう即答して、柚木クンは
笑った。
そうして『ちょっと待ってて』
と言って一度ペットケージを
床に置くと、壁際にある
棚へと歩み寄る。
引き出しを開けて取り出した
のは、パスケースのような
掌に収まる小さな物。
_「…………?」
あたしが不思議に思いつつ
見守る前で、柚木クンは
その中から紙片を抜き出し……
そして一呼吸つくと、一気に
それをビリビリとふたつに
破いた。
「ちょっと……何してるのよ、
それ?」
少しだけ不安になって
尋ねると、柚木クンはそれを
近くのゴミ箱に投げ込んで、
「ん? オレなりの、決別」
「柚木クン……」
詳しいことは全然わからない。
でもその表情が、今まで
見たことがないくらい
晴やかで眩しかったから、
あたしはそれ以上は何も
言わなかった。
「――じゃあ、行こうか」
再びケージを持ち上げて、
柚木クンが笑う。
「――――うん」
ゆっくりと頷いて、あたし
達は肩を寄せ合ってその
部屋を出た――…。
☆☆☆☆☆
_