みだりな逢瀬-お仕事の刹那-


仕事モードで出社したのに此処で体力を奪われ、今日は使い物になるだろうか?


悶々としていたところ生乾きの髪に触れられて、私はゆっくり視線を上げる。


さっきまで身体をなぞっていた、骨ばった指先。それが優しく髪の絡まりを解いてくれる。


「里村さんより、美味い物を食べさせる。水曜の夜なら良いよね?」

その言葉と真剣な眼差しに絆されたのか、ついコクリと頷いてしまう。


社長にとって、これはある種の対抗心が働いている。決して、勘違いをしてはいけないと自らを戒める。


嘘っぱちの笑顔だと分かっているのに、ナカの熱は疼くように冷めてはくれなかった……。



火曜日はスペイン人の建築デザイナーが来日し、私は通訳を担当することに。


新進気鋭の女性デザイナーであるその方は、もちろん通訳士を伴っていた。


だが、こちら側としても通じる者がいるのが望ましい。少なからず内容と意図を理解している方が有利に働くからだ。


社長と数名の担当者の意向を言語を変えて伝えるのは、何度やっても緊張する。とはいえ、先方が親切で救われた。


私にとっても以前、覚えたスペイン語を活かせる場への参加はありがたいこと。


“何事もムダなものはない”と、よく口にしていたかの彼女。社会に出てそれを痛感するばかりだね……。



苦心しつつおどうにか役目を果たして帰宅すると、22時をとうに過ぎていた。


不在中はフォローが入るといっても庶務は発生する。当日に片づけなければ、翌日に後悔するのが関の山。


退社後、クタクタで電車に乗ってすぐ空席を探すが、あいにく手すりに掴まる外なかった。


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