みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
透子ちゃんの名前を聞いて、その場に座り込みそうだった。しかし、膝を割った社長に支えられてそれも叶わない。
「朱祢」と何度か呼ばれ、答えを急かされる。
ふたりきりの資料室は重い空気が包み、瞬きすらまともに出来ずにいた。
それでも逃がさない、といわんばかりに薄墨色の瞳が向けられてついに口を開く。
「と、……こちゃんの、願い……」
「透子の?」
ピクリと眉根を寄せて彼女の名を呼ばれ、再び目には涙がじわりと溜まっていた。
「わ、……たしは、……と、こちゃの、っ代わりに……」
「ハッ、代わり?笑わせるな!」
嘲笑ののち一喝され、押し黙るしかない。そんな私の顎先をクイッと片手で上げ、眼前まで迫って来た美麗な顔。
キスされるのではないと分かっていた。ずっと彼を見てきたからすぐ分かる。――私を通して彼女を見る時の目だと。
「――ね、願い、だったのよ。……とうこちゃんの!
しっ、死ぬところを看取らせたくないからっ、……別れたけれどっ、……しゃ、社長が幸せになれたかっ、……それだけっ、報せてねって!」
だから身代わりは、目を伏せて心にずっと仕舞っていくつもりだった真意を伝えるしかない。
しかし、彼女の無念を思うと今でも胸が痛くて声が上手く出なかった。