わかれあげまん
あまりの事態に、声さえ掠れる。
逃げ遅れた小鹿の子のように足が竦んで動けない。
「どうしても話したいことがあって君ん家の前でずーっと帰りを待ってたんだけどさあ。…ついに夜が明けちゃったよ。さっぶ!!」
攻めるような目で言いながらわざとらしく体をこごめ身震いし、それから渡良瀬は妖艶でしたたかな笑みを浮かべ、無遠慮に柚に駆け寄った。
心臓が激しく、警鐘を打ち鳴らした。
ついさっき哉汰に「すぐに呼べ」と念を押されたばかりなのに。
身体が、…まるで動かない。
「俺差し置いて朝帰りだなんて、ひどいじゃん。…どこに行ってたんだ?ん?」
まるでさも当然自分のものだというように渡良瀬は柚を抱き寄せ、頭を撫でた。
「ほらほら、柚だって身体が冷え切ってるじゃないか。」
「はな・・・して」
やっとどうにか拒絶の言葉を告げ、両腕を突っぱねようとしたその時。
包み込んできた渡良瀬の腕が突如、攻撃的な力で柚を締め付けた。
「!!っ」
思わず叫びそうになった口元を、ハンカチのようなものが覆った。
その瞬間にとてつもない危機を感じ、力の限り抵抗しようと身じろぎした柚だったが。
ツンとしびれるような鋭い感覚が鼻腔を過り、途端にすうっと意識が遠のいていく。
心の中ですら、藤宮くんと名を呼ぶまもなく、柚は渡良瀬の腕の中でがくりと意識を取り落した。