大江戸妖怪物語





――――― 十年前 ―――――


「もう、ダメだ。ここを・・・この村を・・・離れなくてはいけんのか・・・」

老人が悔しそうに言った。
荒れ果てた山奥の村。

「山姥さえッ・・・山姥さえいなければ・・・ッッ!!」

篝火の下、農民たちが集会を開いていた。源一は鍛えられた太腿を平手で叩いた。
叩いても虚しい音が鳴るだけ。それで山姥が撃退できるならいいが、逃げていくはずもない。

「この村を出て、新しい村に行こうか。行き先は・・・わからない。流浪の民が行く先が、天国か地獄かどうかさえ。ただ、一刻を争う事態となっている」

先ほど、村長が死んだ。村を統率する者が死んだ。村長の体中には大量の切り傷。

山姥の仕業だった。

この村では昔から、山姥が人を襲っていた。気づいたら、誰かが食われている。
さっきまで一緒に隠れんぼをしていた友達が食われいていたり、ちょっとそこまで、と出かけた母親が犠牲になったりしたこともあった。

最近では三日に一人か二人、昨日は一気に三人、山姥に襲われているのが習慣になっていた。

「うちの子も・・・うちの子も・・・!あいつに食われた!!」

女が地面に突っ伏して泣いた。

「もう、考えている暇はない。長年、先祖代々守ってきたこの土地を手放すのは惜しいが、命には変えられん。・・・みんなどうする?」

源一は皆に問いかけた。

「・・・出て行きたくねえよ!でも、残ったところで食われちまうんだろ?みんな、生きてえよ・・・」

村人は顔を見合わせうなづいた。







「・・・お困りのようだな」







集会所の扉が開いた。木で作られた床は謎の人物の歩く音と一緒に軋む。

「あんたは・・・誰だ?」

紫のフード付きの長い布を巻いた女。
村人は顔を合わせつつ、謎の侵入者に警戒しているようだった。

「・・・もしかして、山姥じゃないの?」

「・・・私たちがいなくなることがわかったから、出て行かれる前に殺そうとして・・・!」

「・・・山姥?嘘だろ・・・?」

村人の顔は青ざめていく。

「私は山姥ではない。簡単に言えば・・・救世主かの?」

源一は床をドンと叩き、立ち上がり、侵入者に詰め寄った。

「いい加減にしてくれ!ふざけるな!茶化しにきたのなら帰れ!」

「・・・そうそう、怒るでない。私が山姥と交渉してきてやる」

「馬鹿にしてんのか?!」

「馬鹿にはしてない。交渉してきてやると申している」

女はフードを取った。くすんだ紫の髪の毛、紫紺の双目がジッと見つめた。

「では行ってくる。山姥の元へ」

女は集会所を出て、山の入口へと歩き出した。

「待てって!あんた、ほんとに行くつもりか?」

「そうだが?」

「・・・やめとけ。死ぬぞ」

村人は止めた。女は茂みに脚を踏み入れた。

「お、おい!」

「なんだ?」

「・・・あんた、名前は・・・?」

「・・・・・・夕場美藤」

名前を告げると女は山に入っていった。









「どう思うよ、あの女・・・」

「どうって・・・絶対怪しい・・・!」

村人は互いの意見を述べ合った。

「仮にあの女が山姥じゃないとしても、山姥と交渉なんて無理に決まってる!・・・今頃、骨でもしゃぶられてるんじゃないか」

夜が深まり、そして東の空が朱色に染まった。

女は帰ってこない。

「・・・やっぱり食われちまったんだよ・・・」

源一さんは暗い顔で言った。

「支度をしろ・・・。今日の夜にはこの村から出る・・・」

「源一・・・」

「・・・仕方ないだろうッ・・・」

村人の顔が涙でいっぱいになった、その時だった。

がさりと茂みが揺れた。一斉に音のした方向を見る。・・・あの女だった。

「・・・山姥と交渉してきた」

「無事だったか、・・・ッッ!!!」

女の左肩から血が垂れていた。
三つの引っかき傷から血が溢れている。

「は、早く治療を!!」

村の女に連れられ、女、夕場美藤の肩は包帯で巻かれた。

「・・・ここまでしなくても」

美藤は左肩を横目で見ながら言った。

「何言ってるのよ!怪我人が目の前にいて、ほっとけないわよ!」

源一ら村人は美藤を取り囲んだ。

「・・・怪我人に聞くのも申し訳ないが・・・。・・・交渉は、うまくいったのか?」

美藤は長い睫毛を伏せながら、艶めいた唇で応えた。

「山姥にはむやみやたらに村人を襲わないことを約束させた。が、しかし、山姥も引かぬ。三ヶ月に一度、村人の中から生贄を捧げればよいということになった」

「三ヶ月に一回・・・生贄を・・・」

村人たちは顔を合わせた。あまり乗り気じゃなかったが、三日に一人殺されるよりははるかにマシだと考えた。

「・・・条件を飲もう・・・」

美藤は静かに目を伏せた。



「ありがとうな・・・。・・・美藤さん・・・」

「なにがだ?」

「あなたがいなければ、村は無くなっていた。・・・・・・どうでしょう、美藤さん。この村の村長になって頂けませんか?」

「私が?」

村人も口々にそれがいい、それがいいと声高に話す。
ニヤリと微笑む美藤。

「需要があるのならよいが」

「万歳!新しい村長の誕生でえッ!」

村人は手を取り合って喜んだ。

「・・・村長になったからには村の発展に尽力する。まずは荒廃している畑を掘ろうか。雑草が生い茂る前に、早く何とかしよう」

「了解です!!」




美藤はそれから村を発展させた。水を引き、田が作られた。畑には常に作物が生い茂り、飢餓状態に陥ることもなくなった。相変わらず生贄は捧げられたが、村人はこの生活に満足し、現在に至る。

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