crocus

運命と奇跡と必然と

                     ***

見知らぬ男の脚蹴りにより、伊織の体は大きく後ろへ吹き飛んだ。背中に当たった何かの中には水が入っていたようで、ぶつかった衝撃で倒れた拍子に、伊織は見事に頭からびしょ濡れになった。

最悪だ。
こんな寒空の下で。

「チッ、もういきがってくんじゃねぇーぞ」

上から降ってきた野太い声。
見上げる気もしない。
耳だけはいくつかの靴音が遠のいていくのを拾っている。

別にケンカを売ったつもりはない。
ただ明らかに嫌がっている女の子に対して、複数の男が言い寄っていた様子を見て、彼らの間に割って入って「空気読めない奴ってもはや公害だよね」と女の子に同意を求めた。

助けるつもりはなかった。
けれど視界の端で汚らしい欲望丸見え連中や、見て見ぬふりして足早に立ち去る通行人に対してイライラの我慢が限界だったからだ。

辺りを見渡すと、もう女の子はいなかった。
感謝されるのも面倒だけれど、いないならいないで腹が立つ。

釈然としないまま、座ったまま後ろを振り向けば2、3個のバケツが転がり商品と思われる花が散乱していた。

あー…やっぱり助けなきゃよかった。

「おにいちゃん、だいじょうぶー?」

拙い喋り声が聞こえた方へと視線を向ければ、きょとんとした小さな女の子が立っていた。前髪から雫が滴る男が怪訝な表情で一睨みでもすれば逃げていくかと思いきや、何故かみるみる女の子の瞳がキラキラ輝きだした。

「おにいちゃん、いいにおいがするねぇー!」

「は?」

目を閉じてスンスンと鼻を動かす女の子はうっとりとした表情で笑って頬を染めた。

その姿になんとなく毒気を抜かれてしまった。


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