あの子の好きな子



「なんか、久保、最近元気ないな」
「そうでもないよ」
「元気ないっていうか、様子が変かも」
「あ、私、お手洗い寄りたい・・・ごめん寄ってくから、帰ってていいよ」
「いや、待ってるけど・・・やっぱり、変かも」

お手洗いに入って、冷たい水で手を洗った。鏡を見ると、そこにうつった自分の顔は、生気を奪われた、情けないものだった。このままずっと先生と喋れなかったら、私の顔はしわしわになって枯れ果ててしまうんじゃないかと思った。かろうじて理科総合Bの授業の50分間だけは、先生の顔を見れて先生の声が聞けた。準備室で先生と他愛ない会話を交わせるのは、2週間に一度あるかないかになっていた。ため息が出る。
会長が待っているんだった。早く行かなくちゃ。

本当に先に帰っていていいのになあ。そう考えながらお手洗いを出たら、そのすぐ隣の男子トイレからぼさぼさ頭で緑色のセーターを着た人物が同時に出て来た。

「あ」
「あ」

私の机から、教壇まで。今週はその距離でしか会えていなかったから、つま先とつま先がぶつかりそうな距離で先生を見て、すごく久しぶりに会った気分になった。

「篠田せん・・・」
「久保」

その時私の名前を呼んだのは、先生ではなくて会長だった。篠田先生の顔を見て、会長を待たせていたことを一瞬完全に忘れてしまった。会長は私を見たあと、その向こうにいる先生の方を見て言った。

「あれ、篠田先生も。先生もここのトイレ使うんですか」
「まあ、人間だからなあ」

先生が笑った。こんな近くで先生の声を聞いて笑顔を見るのはどれくらいぶりだろう。もしかしたらあの花火大会の日以来なんじゃないだろうかと思った。8月から9月になって、何かが大きく変わってしまったみたいに先生はよそよそしくなった。


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