あの子の好きな子



先生のシャツをしっかりと握っていた私の手を、先生がそっと解くように掴んだ。初めて触れた先生の手が湿っぽくて、ごつごつしていて、体が熱くなった。先生に触れてしまった。私の手が先生の手と、重なっているその感触と事実に体温が上昇していくのがわかる。男の子と手を繋いだことがないわけじゃない。ぎゅっとしたりキスをしたり、未経験なわけじゃない。なのに先生の手が触れただけで、私は体中の水分が沸騰したみたいに熱くなった。

「私・・・、もう、だめです」
「え?何が・・・」
「もう、できない・・・気付かないふり、できない・・・」
「久保?」
「先生が好きです」

先生の親指をぎゅっと握った。いつも、チョークを握るその指。教科書をめくるその指。この親指が欲しくて、欲しくて、お菓子をねだる子供みたいに力いっぱい握りしめた。

「あ、ああ。どうもありがとう」

返ってきた返事はとぼけたものだった。きっと先生も、当たり前のように思ってるんだ。先生はあくまで先生なんだと。先生は生徒を見守る、生徒は先生を信頼する。先生のその返答が悔しくて、私はムキになっていた。先生の方をきっと睨みつけながら、もう一度言った。

「私先生が好きで仕方ないんです!おっ・・・、男として!」

今まで生きてきてこんなに恥ずかしかった一言はない。私のその決死のダイブにさすがの先生も意を解したようで、まぬけ面で「えっ?」と言っていた。さっき私が泣き出した時と同じように、オロオロと対応に困っていた。私も自分の台詞の恥ずかしさとその場の空気に耐えかねて、「それだけです!」と威勢よく言い放つと、一目散に改札の方へ駆け出して行った。

私の正義感が強いなんてうそっぱちだ。だって私は、今全力で社会のルールを破ろうとしている。モラル、常識、規律、そういったものを全部ぶち壊して、先生を振り向かせたい。心の底から禁断を犯したいと願った私に、正義感が強いなんて言ったのは、どこの誰か。


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