契約恋愛~思い出に溺れて~

光沢のあるブラウスにカーディガンを羽織り、ロングスカートをはいている女の人。

きちんと染めてある黒い髪。
けれども深い皺のせいで、年齢は60歳近いように見える。

私の母と同じか、少し若いくらいだろうか。

きょろきょろと辺りを見渡しているその手元には、不似合いな赤いノート。


この人が、英治くんを生んだ人。

英治くんのお母さん。


「……っ」


無意識なのかも知れない。

英治くんはそっちを見据えたまま、一歩後ずさりした。

当然、後ろにいる私との距離が縮まって、

手を伸ばして背中を触ると、彼はビクリと震えた。


紗優が立ち止まって、不思議そうに彼を見上げる。


「英治くん、あの人?」


紗優が何かを言いだす前に、私が口火を切った。


「あ、……あ、うん」


彼は自分を取り戻そうとするかのように、頭を軽く振って、瞬きをした。

焦点を合わせて、私の方を見る。

どこか頼りないその表情に、今まで隠れていた彼の本心が見えたような気がした。

< 404 / 544 >

この作品をシェア

pagetop