≡ヴァニティケース≡

 エンジン音は一際音程を上げると急激に遠ざかり、そして自分は生きている……ようだ。美鈴はゆっくりと目を開けた。


「こりゃえらいこっちゃ、怪我した人はおらへんか?」「ナンバーは?」「外してたみたいどす」「兎に角警察や! 誰ぞ電話したってえな!」


 剰りにも唐突な出来事に、そこに居合わせた人は皆、それぞれが動揺を隠せないでいる。見上げた男の顔にも焦りが有った。


「大丈夫だったか? 何処か痛む所は無いか?」


 間近で見る男の目が、優しく美鈴に問い掛けている。彼女は安堵して答えた。


「だ、大丈夫です。どうもありがとう」


 まだ震えの収まらない身体を起こして深々と頭を下げた。見れば美鈴の腕に微かな擦り傷があるだけで、二人ともに目立った怪我は無いようだ。


「お陰で助かりました。あ、あの、お名前を教えて頂けませんか?」


 息を整えてから尋ねてみた。もし彼が庇ってくれなければ、或いは命を落としていたかも知れない。恩人の名を聞きそびれたでは、礼に欠けるというものだ。だが彼の返答は美鈴の理解出来る範疇を超えていた。



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