≡ヴァニティケース≡

 ……トン。


 遠くから音が聞こえる。


 ドンドン。


 美鈴には、初めからそれがドアを叩く音だということは解っていた。なのに体が動かないのは何故だろう。消耗した心身が覚醒を拒否しているかのようだった。


 今朝、職場に欠勤の電話を入れた後、何も食べずにまた布団へもぐり込んだ事は辛うじて覚えている。あれから何時間が経ったのか。いつの間にか美鈴は深い眠りの底に捕まっていたらしい。


 ドンドンドンドン。


「美鈴くん。大丈夫か?」


─────……男の人。誰?……。もしかして……─────


「美鈴くん!」


─────やっぱり! 石田先生だ─────


「居ないのかい?」


「先生っ、石田先生! ああっ、済みません。あの……ちょっと待って下さいっ」


 跳ね起きた時に布団がはだけ、そこで自分が何も着ていない事に気が付いた。いくら彼を父親のように慕っているとは言っても、素っぴんの、ましてや全裸姿を見せる訳にはいかない。バタバタと慌てて体裁を整え、それでも形になったかどうか。とにかく美鈴は大急ぎでドアを開けた。



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