≡ヴァニティケース≡

「かましまへん。うちは見いひんように席を外すさかい。それにあんたはんも、少しは積年の憂さが晴れますやろ」


「憂さだなんてそんな! とんでもございません。しかし、お嬢様のお言い付けとあらば……」


 全ては蚊帳の外だった。さっき男が言ったように、美鈴の意思が介在しないところで話は進んでいく。弱者が何を叫んだところで結果は変わらない。多くの弱者が精一杯暮らしている所とはかけ離れた場所で、強者はスイッチひとつで物事を決める。彼らは平凡な日常を否定し、欲にまみれ、しかし日曜のミサに行くだけで、まんまと長生きしてしまう。


「お嬢様がね。許して下さいましたよ。ううん、いい匂いだ。恐怖の脂汗がまたなんとも香カグワしい」


 髪を七三に撫で付けた男は、美鈴の額に玉をなしている汗をナメクジのような舌で舐め取った。



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