闇夜に笑まひの風花を
そこにあったのは、痣。

杏の鎖骨の下から谷間を通ってアンダーバストのところまで長く続く、真紅の花弁の痣だ。
白い肌に、そこだけが痛々しいほどに赤い。

杏は薄紅色のアメリカンスリーブを着ていたから、こうして脱がさなければ分からないはずだった。
幾つか用意されたものの中から、杏が選んだのだ。
この痣は人に見せたいものではない。
知っているのはごく数人だった。

けれど、王子はやはり、と言った。
杏が一着だけ用意されていた痣の隠れるこのドレスをわざわざ選んだことは、逆に彼の思う壷だったのかもしれない。

杏の喉が震えた。

王子は指の腹で痣をゆっくりと辿った。
杏の指先がぴくりと動く。
痣の傍はとても敏感なのだ。
先ほどまで青かった顔色は、頬に赤みが上る。
その様子に気づかず、王子は呟いた。

「やはり、お前が__」

言いかけて、しかし彼はその先を続けようとはしなかった。
けれど、その瞬間王子の表情が崩れ、孤独な瞳が一瞬揺れる。

杏は彼の言っていることが分からない。

王子は今にも泣きそうな彼女を見て、凶悪なまでの微笑みを近づける。

「一つだけ教えといてやろう。
お前の血は、そこに流れているだけで大罪を犯す」

頭が回らなくなってきた。
ただ、うまく回らない舌で音を転がしてみる。

「……たいざい……」

「お前、記憶がないだろう。幼い頃の記憶が。
お前が何者で、その血が何を意味するのか__知りたくはないか?」

それは、ひどく甘い誘惑。
同時に、同じくらい苦しい言葉。

ずっと不安だった。
自分が何者なのか。
この痣は何を意味するのか。

けれど、相反して知りたくないとも思っていた。
何も覚えていないはずの頭が、警鐘を鳴らすのだ。

しかし、興味もあった。
大罪を犯す血というものに。
知らなければならないと感じた。

だから、頭の中で響く警鐘と頭痛を無視して、誘われるままに肯定の言葉を返していた。

「__はい」

__もう後には引けないことを、知っていながら。
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