闇夜に笑まひの風花を
「………………。
なんだ」

__ああ、どうして……。

「……泣いていないのか」

どうして、涙が出ないのだろう。

「泣きません」

否、泣けないのだ。
胸が潰れそうで、痛くて苦しいのに、涙が乾いている。

泣きたいのに、泣けれない。
喉は痛むのに、嗚咽は零れない。
どれだけ顔を歪めても、涙は溢れない。
どれほど痛くても、景色は滲まない。

「……化粧が取れてしまうから」

体外的な理由を取ってつけたように話すと、裕は溜息を吐いた。

「それならまた直せば良いだけのこと。女は面倒だ」

傷だらけで血を噴き出す心を殺し、杏は裕を見上げた。
叩かれ、腫れた頬に当てられた手が頬を撫で、指が杏の顎を持ち上げる。
その指先にわずかな凹凸を感じて、裕は皮肉を口元に刻んだ。

「蹴られたか。あれの靴跡が残っている。
嫉妬とは、醜いな。
女とは、実に面倒な生き物だ。特にあれは、魔性の女ぞ」

「存じております」

友として過ごした者さえ自らの欲望のために使い捨て、人の心をずたずたに引き裂くことに生きがいを見出すような女だ。
あの瞳、笑み……月明かりで見えた女の形相は、正しく悪魔と呼ぶに相応しかった。
杏を蔑んだ彼女を、忘れるなどできない。

唯一の友の消失と共に思い知った、目の眩む絶望。
忘れはしない。

言葉を発した杏の瞳は昏く淀み、底知れぬ穴が顔を出す。
そこに淡紅色の瞳は確かに在るのに、まるで目玉が抉られたように覗く闇。
その空虚な様子には、王子と雖も怖気が奔った。
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