闇夜に笑まひの風花を
天から照らす月明かり。

蘇る既視感。

最近、逃げてばっかりだ。

こうして走って、辛さから逃げて、現実逃避して。
それで物事が好転するはずもないのに、杏は逃げてばかりだ。

喉が痛い。
足が痛い。
胸が、潰れそうで。

大好きだと言い合った人に、
親友の絆を幾度も確かめた人に、
目障りだと言われた。

ただ、それだけのはずなのに。

がむしゃらに走っていつの間にか中庭に出ていたようで、四阿の段差に足を引っ掛けて前のめりに転けかける。
その先に石製の椅子があって、そこに倒れ込んだ。

「……は、ああ……っ」

消えてしまいたい。
何もかもを捨てて、誰の目にも見えないように。

そうしたら、もう傷つけられることはない。
期待して、裏切られることもない。
こんなにも、絶望することもなくなる。

消えてしまえばいい。
消えてしまえばいい。
消えてしまいたい。

誰も、私に触れないで。
誰も私を瞳に映さないで。

__ああ、どうして……。

月を見上げる。
四阿の中から、天に上る小さな月を。
暗い夜空。
深い紺色の。

その光景が、痛いほどに目に映る。

「おいっ!」

聞き知った声。
ずかずかと近づいてくる気配。

「ったく、お前は。
今日の主役が広間を抜け出すな」

そう言って、杏の腕を引き上げたのは、裕。
この国の王子だ。

杏はたたらを踏む。
顔が上げられなかった。

「……どうして、ここに……」

「一宮那乃に何か言われたのか、坂井杏」

杏の質問には答える素振りも見せず、裕は叩かれた頬に手を当て、顔を上げさせた。
冷たい指が、熱を持った頬に心地良い。

裕はその表情を見て、一瞬目を瞠った。
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