桜ものがたり
「母上さま、父上さまが大層気になさっておいでで、代わりにご機嫌伺に

参りました」

 光祐さまは、朝方別れたばかりの奥さまと長い間離れていた気分に浸っていた。

 それほど、祐里の縁談話が心に重く圧し掛かっている。

「光祐さんと祐里さんの顔を見たら、幾分気分がよくなりました。

 さぁ、お座りなさい」

 長椅子の中央に奥さまが座り、左右に光祐さまと祐里が座った。

 奥さまは、優しく祐里の手を取った。

「まぁ、祐里さん、元気のないお顔ですわね。

 心配しなくても、わたくしは、まだまだ、祐里さんを手放しはいたしません。

 もしもの時は、東野の家に祐里さんを連れて帰る決心をしましたのよ」

「奥さま、ありがとうございます。

 そして、私のことでご心配をおかけして申し訳ございません。

 奥さまのお気持ちだけで、私はしあわせでございます」

祐里は、奥さまの厚意が嬉しくて潤んだ瞳を向けた。

「祐里さんが悪いのではなくてよ。この事はわたくしにお任せなさいね」

 奥さまは、祐里を抱き寄せると愛おしさで胸がいっぱいになった。

 光祐さまを産んだ後にもう子どもができないと判り、その後に引き取った

祐里に随分と慰められたことを思い出していた。

 まだ言葉を上手に発音できない三歳の祐里が『おくさま』と屈託のない笑顔で

呼びかけてくれ、どんなにこころが和んだことか。

 光祐さまも妹ができたことで、一人っ子の我が侭を通すことなく思いやりの

ある優しい性格に育っていた。

「母上さまの里帰りを気にされて、父上さまが榛様の事を詳しく調べて

くださるそうです。

 調査結果が届けば、きっと父上さまにもご理解いただけると思います」

光祐さまは、今朝の旦那さまとのやり取りを詳しく説明する。

 説明しながら、祐里を手離したくない気持ちがますます昂ってくるのを感じた。

「結婚は、とても大切な事ですもの。

 可愛い祐里さんを簡単に嫁がせるなんて、わたくしにはできませんわ」

 奥さまは、突然の縁談話で、殊更に、祐里のことが可愛く思えてならなかった。
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