【B】明日は来るから 【優しい歌 外伝】



「お疲れ、神楽。
 
 ほらっ、今日はもうあがりの時間でしょ。
 準備してきなって。

 そうそう、ちゃんと考えといてね。
 いい返事待ってるから」


文香さんはそう言うと、
忙しそうに、階段を駆け上がって
次のレッスンのために教室に向かったみたいだった。


「有難う。

 最後の曲、文香が今日の朝になって
 演奏したいって言いだしたのよ。

 今人気の、ウェディングドリームのドラマ主題歌。
 無謀すぎるでしょ。

 ホント、結婚カウントダウン。
 文香の相手は、IT企業の将来有望株のやり手らしいし。

 着替えて来るね。

 何だったら最上階のラウンジでコーヒーでも飲んでる?
 うちの教室、コーヒーの豆だけは主任が拘ってるから」

「それは何回も聞いて知ってるよ」



思わず自分でも、
冷たい飾り気のない言葉が飛び出す。



神楽さんと一緒に階段で最上階まで上がると、
カップに淹れたてのブラックコーヒーを注いで
俺の前におくと、スタッフルームへと消えていった。



ブラックのまま、コーヒーを口元に運びながら
神楽さんの言葉が気になる。




神楽さんを思って、浮かれている俺とは別に
神楽さんも……文香さんみたいに、
何処ぞの企業のエリートとかがいいんだろうか?



だったら……学生の俺になんて
勝ち目ないだろう。



神楽さんが欲しいものも、
すぐに手に届かないそんなポジションにいる
そんな俺には……。



付き合いながら、
いつも何処かで付きまとう不安。



そんな不安を拭い去りたくて、
夢のような時間に縋るように噛みしめる。




年下って言う
そんな言葉が俺を時折、追い詰める。




「お待たせ」



コーヒーを飲みながら、
そんなことを考えていると
神楽さんが着替えを済ませて隣に座って来た。


そのまま俺の飲みかけのコーヒーを
カップを奪って一口。



「あっ、苦っ。
 どうしてブラックが平気で飲めるのよ。

 コーヒーは砂糖とミルクが必須でしょ」

「神楽が甘党なだけだよ。

 適度な当分は体にいいけど、
 神楽は取りすぎだよねー」



名前を呼び捨てるこの行動も、
心の中では、神楽さんと呼び続けてる。



少しでも彼女に近づきたくて。

少しでも彼女を独占したくて。



「さっ、行こうか」



文句を言いながら残りのコーヒーを飲み干した
神楽さんは、カップを流しに片づけて
二人で教室を後にした。


冬の商店街。

コートの中に体を小さくして、
腕を絡め取るように
体を寄せてくる神楽さん。

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