愛を教えて
万里子は自分がどれほど苦しくても、まず、相手を気遣うことができる人間だ。自分を愛する人たちに心配をかけまいと、彼女は笑顔を作る。


卓巳の狂態にとうとう指輪を外し、藤原家を出て行ったときもそうだった。

宗が卓巳の“暴走”を“事故”と勘違いさせたせいもあるが、万里子は卓巳の元に駆けつけてくれた。

そして愚かな卓巳に「ついて行く」と手を差し伸べてくれたのだ。あのときは本当なら卓巳が追いかけ、「戻って欲しい」と懇願しなければならなかったのに。

そんな万里子の手を取る勇気を失い、卓巳の心は折れてしまった。だが、折れた心は万里子の愛情によって癒やされ、卓巳は生まれ変わった。

その万里子が、卓巳を見捨てて閉じこもってしまうはずがない。

彼女なら必ず乗り越えられる。



事件以降、泊まり込みだった精神科のドクターに、昨夜は引き上げてもらった。今日は午前十時に、ナースを連れて来ることになっている。


『おはようございます、オーナー。奥様はいかがですか。昨夜はお休みになられましたでしょうか?』


朝八時、付き添いを頼んでいるソフィが部屋を訪れた。


『ああ、昨夜は一度も目を覚まさなかった。このまま落ちついてくれたらいいんだが』


久しぶりにぐっすり眠っている。このまま何事もなく目を覚まし、「おはよう、卓巳さん」と微笑んでくれたなら。


『もう、大丈夫かも知れませんわ。あとは私が付き添いますので、オーナーも少しお休みください』

『いや……そうだな。じゃ、シャワーを使わせてももらおう。少し頼む』


卓巳はソフィに万里子を任せ、バスルームに向かった。


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