リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「資料。ありがとうございました」

牧野の車の助手席で畏まったように座っている明子のその言葉に、牧野は一瞬首を傾げて、ああ、あれかと頷いた。
なんとなく、牧野の後に続いて形で店を出ようとした明子は、外に出るなり目に飛び込んできた景色に、唖然とするしかなかった。
家を出てきたときは見渡す限りの真っ青なキレイな青空だったのに、今や見るも無残な灰色が広がる土砂降り雲に一変していた。


(洗濯物、入れてきて良かったあ)


そんなことを考える一方で、どうやって帰ればいいんだろうと、明子は頭を抱えた。


(さっさと、帰ればよかった)
(そうよ、二時間近く歩くんだもの)
(寄り道なんてしてる場合じゃなかったじゃん)
(ばかっ)
(あたしっ)


明子は己の浅はかさを、ただただ詰るしかなかった。


「どうした?」

立ち止まってしまった明子を見て、牧野が不思議そうに声をかけてきた。

「えーとですね」
「……車じゃないのか、もしかして」
「持ってませんから」

通勤は電車バスだし、食料品やちょっとした日用雑貨は近所のスーパーで事足りる。
足りない物は、たいていインターネットで片が付く。
そんなこんなで、明子は自家用車は持っていなかった。
一人一台がデフォルトになっているこの地域では、それは珍しがられることだった。

「もう少し、様子みます。はい」

空を見上げてそう呟く明子に、牧野はバカと言って息を吐き出す。

「そういうときは、送ってくださいって言うんだよ。そんなんだから、かわいげがないって言われるんだろうが」

しょうがねえやつだなと、牧野はぼやくようにそう言って、車回してくるから、そこで待ってろと言い残し、明子の返事も待たずに、雨の中、駆け出していった。


(かわいげなんて、とっくの昔に捨ててるもの)
(あるわけがないじゃない)


雨の中、走っていく牧野の後ろ姿に、明子はそう呟いた。




そして、今、牧野の車の助手席で、明子は畏まっているしかなかった。
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