リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「こんなに書くの大変でしょ。ノーパソ、持ち込んじゃったほうが楽じゃない?」

気を取り直して、昼休みに交わす雑談のような口振りで、明子はそう沼田に問いかけた。
ノートを眺めながらの明子のその言葉に、沼田は「そうなんですが……」と口ごもりながら、それができない理由を告げた。

「ここの人たちに、キーボードを叩く音を聞くと気が散るからやめてほしいと、ずいぶん前に言われたんだそうです」

予想だにもしていなかった回答に、明子は乾いた笑い声をこぼして、肩を落とすしかなかった。


(えーとですね……)
(こんな喧々諤々の中で、キーボード叩く音がって……)
(おいおい)


思わず、吐いて出そうになったその言葉を、明子は辛うじて飲み込んだ。

「お昼って、ここで食べるんだよね?」
「僕は、いつもここで食べてます」
「休憩中、このノート、借りてもいいかな」

明子のその頼み事に、沼田はコクリと頷いた。

「とりあえず、総務部内の主導権争いなんてものは放っておいて、吸い上げてあるその要求まとめて、これで間違いないか言質とっちゃいましょう」

いつまでも、こんな茶番劇に付き合ってられないわよ。
腕を組んでそう言う明子に、沼田も同意するように頷いた。

「それを踏まえて、次回には提案書だして、どうするかは内部で考えくださいと。そうしないと、次の話にも進めないよね。一応、茶々入れるていどには意見出しているけど、経理課がここに顔出しているのって、経理課独自の要求があって、それを言いたくて待っているんでしょ、あれ」
「はい。一度こっちの話を先にさせろと人事課と総務課に言ったら、後にしろと押し切られて」
「で。ちゃんと待っているんだ」
「はい。……、専務の意向もある、かな?」

後半は、明子に聞かせるというよりは独り言めいた呟きではあったけれど、それでも、その言葉はしっかり明子の耳にも届いた。


(ああ)
(経理課のトップは、専務派だったわね)


牧野からの極秘資料を思い出して、本当に聞きしに勝る派閥闘争だわと苦笑した。


(大塚さん、そっちのほうにばっかり、気がいっちゃって、全然、仕事にならなかったわけか)
(だから、ホントになにも聞き取れなかったと、そういうこと?)
(しょうがない人だなあ、ホントに)


目を輝かせて楽しんでいたのではないかと、大塚のその姿を想像し、明子はやれやれというように首を振った。
そして、改めて沼田を眺めた。


(あんがい、すごいかもだわ、この子)
(吸い上げちゃんとできてるし、ここの内情もしっかり把握してるし)


思いがけない発見に、明子は沼田に対する評価を上昇修正する。
君島から聞かせれていた『沼田の優秀さ』を、実感した。
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