リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「人事は社長派で、総務は常務派。なんだよね?」

何気なく、沼田にそう問うと、沼田はコーヒーを飲みながら、こくんと、一つ頷いて、それから珍しく、沼田のほうから明子に声をかけてきた。

「このコーヒーを、持ってきた人」

そう言って、香水むんむんの女性社員の名を、沼田は唐突に告げる。
明子は眉を顰めながらも、聞き覚えのあるその名に記憶を引っ掻き回した。


(ああ!)
(愛人!)


やっと、そこに思い至り、明子は「専務の……、ね。ふうん」と小さな声で呟いて、納得したように頷いた。
明子のその様子を観察するように眺めていた沼田は、少しだけ考え込んで、やがてなにかを決意したように、隠し持っていたもう一冊のノートを明子に広げて見せた。

そこには、明子がこれからまとめるつもりでいた、この社員情報の一元化に伴う各課からの要求要望が、すでに資料として使えるレベルで、きれいにまとめ上げられていた。

「なによ。もう、ちゃんとできてるじゃない」

車の中で見せてくれればよかったのにと、明子は苦笑を交えながらこぼした。
とにかく、移動中の車中のこの静けさをどうすればいいのよと、明子は朝から途方に暮れながら、うっかりすると寝落ちしてしまいそうだったのだ。
さすがに運転させておいて、助手席で寝てしまうわけにもいかないと懸命に堪えたが、車中で今までの打ち合わせの内容を問いかけても、沼田からは曖昧な返事しか返してもらえず、今日の打ち合わせをどう乗り切って仕切ってくればいいのかと、明子は頭を抱えていたというのに。


(これを、朝から見せてくれていればなあ)


ふうっと、ため息が吐いてでた。
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