リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「でも、小杉さんにまで、こんな迷惑かけちゃった責任は、僕にもあるんで」

明子が木村への怒りを沸々とさせていると、隣の沼田が背中を小さく丸めて、申し訳なさそうにそんなことを言い出した。

「僕が、一人で打ち合わせくらい出られれば、牧野さんや小杉さんまで巻き込むことなかったと思うし。僕が一人じゃ無理なこと判ってるから、大塚主任もこんなことを、計画したんだろうし」

沼田のその言葉に、まだ一人で乗り込む度胸はないらしいと、牧野がそう言っていたことを明子は思い出した。
入社して五年になる社員だが、今日の様子を見る限りでは、沼田一人でも問題はないように思われた。
新規の顧客というわけではなく、馴染みの顧客との打ち合わせだ。
牧野から、沼田は入社したころからここの仕事をしているはずだと聞いたこともあり、ここに向かう車中で本人に尋ねてみると、すでに二回、この会社のプロジェクトに参加していると言う返事があった。それから計算すれば、こことの付き合いは四年近くになる。
それでも、打ち合わせが始まるまでは、魔の土建屋相手にそんな沼田も為す統べがなく、途方に暮れているのだろうと明子は思っていたのだが、こうやって改めて話を聞いてみた限りでは、あんがい、沼田とこの会社の関係は良好そうに感じられた。
これだけこの会社の内情をよく知ってることを見れば、一人二人で片が付くような小さなカスタマイズ作業などは、ほとんど沼田がやってきていたのかもしれない。
君島が戻るまでの間くらいなら、沼田一人でも乗り切れそうだった。
そんなことを考えながら、明子は丸まったその背中を見つめた。

「僕、喋るのがダメで」
「そう? 今、よく喋ってたじゃない。こんなに喋るんだって、びっくりしてたくらいよ」

思いがけない沼田の告白に、明子は首を傾げた。

「それは……、僕も、誰かに聞いてもらいたかったんです。大塚主任のこととか」
「あー。その件は、ね。一人で抱えていたら、そりゃ、ストレスも溜まるわよね」
「ちょうど今、小杉さん、一人だけだったから、聞いてもらおうかなって。最近、昼に喋ったりしていたから、そんなに緊張しないでいられたし。でも、大勢の前じゃ、僕、こんなふうにしゃべれないんです」

誰だって、たくさんの人の前で喋るときは、少しくらいは緊張するわよと笑いかけて、首を何度も振りながら体を震わせる沼田の姿に、明子はその笑みを消した。

「喋ろうとすると、膝が震えて、声もかすれて、どもったり、……汗もすごくて」

それは、経験を積んでいけば克服できるわよと、明子は軽い口調でそう励まそうとしたが、続いた沼田の言葉に、その言葉も飲み込んだ。

「これでも、カウンセリングの効果が出てきて、前よりはましになったんですけど。学生のころなんて、過呼吸みたいな症状も出たりして、医務室に運ばれたりすることもあって」
「……、そう」

カウンセリングを受けているということを考えれば、経験をなどという言葉を使って、賢しくしたり顔をするわけにはいかないと、明子は理解した。
神経症の一種なのだろうか。
ならば、素人の精神論的なアドバイスなど、むしろ追いつめる結果になりかねない。
明子はそう判断した。
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