リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
三課に籍を置いている美咲と、明子はこれまで会話らしい会話を交わしたことがなかった。
朝、挨拶をしても、彼女からそれに応じる言葉を返されてきたことすらない。

毎日毎日、メイクも服も、これでもかと言わんばかりに完璧に決めてくる。
そのヘアスタイルも、どれだけの手間隙をかけているのと、尋ねたくなるほど決まっている。
もっとも、メイクの仕上げは、会社のロッカールームでやっているのだけれど。
就業開始時刻を、とうに過ぎている時間に、化粧道具をずらりと並べ広げて。

そんな爪でご飯を作れるのかと、顔をしかめたくなるような、派手なネイルをいつでもしていた。
きれいでほっそりとした長い指は、家事の水仕事で荒れたことなどないのだろうなと、思う。
というか。
キーボードを叩くのも大変そうだよねと、半分、呆れている。

井上取締役の末娘だと聞いたのは、牧野の下で働くようになって、二ヶ月が過ぎたころだった。
ウワサで入社したらしいと聞いてはいたが、興味もなかったので、名前すら覚えてなかった。
私立の某短期大学を卒業して、三年になるらしい。
システム部に異動してきてから、一緒にランチを取っていた後輩女子たちが、そんなことを話してくれた。
なぜか、彼女たちもあまり美咲とは話しをしている様子がなかった。

正直、どうしてシステム部にいるのか、明子にはさっぱり判らない、謎の人物だった。

とにかく、仕事ができない。
呆れるほど、なにもできない。

ワードやエクセルを使うことはなんとかできるが、プログラマーとしての能力がない。
これまで、そういった勉強はまったくしていないし、今もなお、本人にそれをやる気がない。
そして、自らそれを隠すことなく公言している。

システム部に配属される前の肩書きは『花嫁修業中の家事手伝い』だと、本人が言う。
それ、世の中的には『無職』というんじゃなかろうかと、聞かされたときに頭を抱えたような気がする。

なんでこんな子がいるんだろうと、とにかく、不思議でならない人物だった。

そして、多分、自分は、今、そんな不思議ちゃんにケンカを売られているらしい。


(そう言えば……)
(沼田くんが、なにか言っていたような……)


明子の頭の中は、なにが起こっているのか理解できずに混乱していた。
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