リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「あっこさんや」

十九時を過ぎたころ。
今年入社した岡本進(おかもと すすむ)が、明子からの仕様書をもとに作成したプログラムソースをチェックしていた明子に、小林がぼそりとそう呼びかけてきた。

プロプラムは、ただ動けばいいという訳ではない。
仕様書通りに正しく設計されていることは当然のことだが、そのソースには様々な約束事が設けられている。

-共通部品を使用しているか。
-命名規約に準じているか。
-注釈の入れ方。
などなど。

それらの様々な約束事をクリアして、初めて製品としての最低条件をクリアしたものになる。
それをチェックするのも、明子の仕事のひとつだった。
牧野に提出する報告書を仕上げてあとは、ずっとそういった仕事を片づけていた。

そんなふうに仕事をしている明子に、小林がこんなふうに「あっこさん」とか呼びかけてくるときは、たいてい、仕事の話ではない。
それが判っているから、明子はディスプレイを見つめたまま「なんですかあ」と、間延びしたのんきな声で答えた。

小林は、君島と同期入社の社員だ。
当然、明子のことも新人のころから知っている。
仕事の話をするときは、役職付けで明子を呼ぶが、仕事を離れると明子が新人だったころのように明子を呼んだ。
野球が趣味という小林は、明子が仕事で落ち込むようなことがあったときなど、会社近くのバッティングセンターに明子を誘ってくれることもある。
明子にとっては、愚痴でも不満でも気さくに話すことができる上司だった。

「井上のこと、なんも聞いてなかったのか、もしかして?」
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